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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

宝荘厳院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年8月21日 (月)

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宝荘厳院(ほうしょうごんいん)は平安京郊外の白河殿に付属した鳥羽上皇御願寺九体阿弥陀を祀る伽藍があった。跡地ははっきりしないが白河北殿の西側、丸太町通と冷泉通の間にあったと考えられている(平安京創生館発行資料)。白河新阿弥陀堂とも呼ばれた。

歴史

長承元年(1132)10月7日の落慶法要は鳥羽上皇隣席で行われた。仁平2年(1152)12月18日には蓮華蔵院と共に百体の金色阿弥陀の造仏供養が行われている。保元元年(1156)の保元の乱では焼失を免れたが、承久3年4月18日に焼失。以後、衰退して廃滅したらしい。元徳2年(1330)、後醍醐天皇が宝荘厳院を東寺に寄進。所領は東寺領となったが、その管理のための宝荘厳院方という組織が東寺内に作られ、東寺の運営に重要な役割を果たすことになる。(日本歴史地名大系、平安京創生館発行資料、世界大百科事典)

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