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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

居多神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年12月14日 (金)

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居多神社(こた・じんじゃ)は新潟県上越市五智にある気多信仰の神社。祭神は大国主命奴奈川姫命建御名方命事代主命五智国分寺に隣接。官社。越後国一宮県社親鸞旧跡

歴史

創建不詳。現在は社名を「こた」と読むが、元は「けた」と訓じ、気多大社の分社と思われる。 813年(弘仁4年)7月、無位から従五位上となり(神祇伯袖判居多神社位記証状)、861年(貞観3年)8月3日、従五位上から従四位下となった(三代実録)。

1207年(承元1年)、配流になった親鸞が参拝したとされる。1347年(正平2年/貞和3年)11月、室町幕府は社殿修造費として田井保を寄進。この時の文書に「越後国一宮居多社」とあり、一宮とみなされていた。1533年(天文2年)戦乱で焼失。1578年(天正6年)からの御館の乱では上杉景勝軍に攻められ、神職は1598年(慶長3年)まで能登、越中に潜伏した。

幕末まで現在地の北の海浜にあったが1866年(慶応2年)に社地が崩壊。1879年(明治12年)に現在地に遷座した。1902年(明治35年)焼失。1907年(明治40年)本殿を再建。 (日本歴史地名大系)

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