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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

岩手護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年2月9日 (日)

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岩手護国神社(いわて・ごこくじんじゃ)は、岩手県盛岡市の盛岡八幡宮内にある、県内の戦没者などを祀る招魂社官祭招魂社内務大臣指定護国神社岩手招魂社仁王招魂社。占領期には岩手神社と改称した。

祭神

3万5394柱(靖国神社百年史)

3万5772柱(全国護国神社一覧)

歴史

1869年(明治2年)11月2日、盛岡藩知事南部利恭が目時隆之進と中島源蔵の2柱を祭って岩手郡東茶野畑(現・盛岡市内)に創建した。目時隆之進と中島源蔵は明治初年に自刃した尊王の志士だという。『靖国神社誌』には1870年(明治3年)7月創建とある。

1875年(明治8年)、県令島惟精が県下に埋葬されている戊辰戦争戦没者8柱を合祀し、「官祭岩手招魂社」となった。1881年(明治14年)に盛岡城跡地の内丸公園に遷座し、1906年(明治39年)には盛岡八幡宮境内に遷座した。昭和に入って、現在地に新社殿を造営、1939年(昭和14年)4月28日に遷座した。遷座に先立ち、4月1日、内務大臣指定の「岩手護国神社」となった。

1946年(昭和21年)5月20日に岩手神社に改称。1953年(昭和28年)4月9日復した。

境内社は存在しないが、霊璽簿奉安殿や戦没者遺骨奉安殿がある。平和の塔という記念碑もある。 境内施設として岩手県戦没者遺品館や盛岡八幡宮のものとは別に護国神社社務所がある。岩手県神社庁、岩手県遺族連合会(さくら会館)、盛岡市遺族会なども同域にある。 関連団体として岩手県遺族連合会、盛岡市遺族会のほかに岩手護国神社奉賛会がある。

組織

現在地に遷座後は盛岡八幡宮が管理しているようだ。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B2%A9%E6%89%8B%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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