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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

平松神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月23日 (月)

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平松神社は鹿児島県鹿児島市吉野町平松にある島津家ゆかりの霊社招魂社。祭神は戦国武将で日置島津家の祖の島津歳久(1537-1592)と殉死者27柱。御霊信仰の要素もあるか。曹洞宗心岳寺跡。郷社。

歴史

1592年(文禄1年)島津歳久は、家臣が関わった梅北国兼の乱の責任を豊臣秀吉から問われ、16代当主島津義久の家臣に追われ、平松の地で自害した。その後、島津義久がこの地に菩提寺として心岳寺を創建。 明治の廃仏毀釈で1870年(明治3年)心岳寺が廃絶し、平松神社が建てられた。 島津歳久墓があり、殉死者石塔が今も残る。

また鹿児島県各地に「金吾様」として祀られた。 伊佐市大口大島の大島・平松神社、薩摩郡さつま町鶴田の梅君ケ城跡の鶴田・平松神社、薩摩郡さつま町中津川の薩摩・大石神社などがある。

薩摩郡さつま町求名の求名小学校校庭にあった金吾様は1945年(昭和20年)に稲富神社境内に遷座した。

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B9%B3%E6%9D%BE%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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