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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

御嶽講

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2012年2月2日 (木)

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目次

概要

御嶽講は木曽御嶽信仰の講社である。


菅原壽清は次の6つの要素を持つ宗教団体を木曽御嶽講社としている[1]

  • 木曽御嶽山に祀る御嶽大神・諸神仏・霊神などを祭神とする神観念や、神道・両部神道・仏教などのいずれかの祝詞や経典などの教典を有すること
  • 御座あるいは各種の加持や祈祷、御嶽山の登拝などの儀礼を行なっていること
  • 神殿などの建物あるいは祭壇などの施設、御嶽の神々を象徴する神像や図像、講祖を祀る霊神碑などの象徴物を有すること
  • 教義や儀礼を共有する行者と信者の人的組織を有すること
  • 宗教教団などの上部組織に所属、その他などの特徴的条件を備えていること
  • これらの構成要素が全体的関係として機能していること

大きく覚明講と普寛講に分かれている。覚明講は覚明の系譜を引くとされる講社であり、普寛講は普寛の系譜を引くとされる講社である。

ここでは御嶽講のなかでも著名な系統について紹介する。御嶽講をより包括的に紹介するために、覚明講・普寛講の分類ではなく、地理的な区分によって整理した。いうまでもないが、ここに紹介するものが御嶽講の全てではない。


系譜


中部系

開祖 名称 拠点所在地 コメント 主な霊場
儀覚 宮丸講 愛知県名古屋市熱田区 名古屋の覚明系御嶽講。名古屋最古の講社。広山の弟子の儀覚(武藤清六)が設立。名古屋の熱田を拠点とする。設立年代は不明だが、1811年(文化8年)から天保年間のことと推定されている(『木曽のおんたけさん』33-35)。現状は不明。中部地方の有力講社である福寿講、心願講、日出講はいずれも宮丸講の系譜を組むものである。御嶽山内では黒沢四合目の護摩堂原霊神場と黒沢八合目の金剛童子霊神場に宮丸講の霊神場があり、儀覚の霊神碑がある。現在は衰退している。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」) 金剛童子霊神場
護摩堂原霊神場
寿覚 福寿講 愛知県岩倉市北島町 尾張国の覚明系御嶽講。儀覚(宮丸講講祖)の弟子の寿覚が設立。寿覚には37名の直弟子がいたとされる。それぞれが個別に講社を起こし、福寿講の名を広めた。中でも北島の元祖福寿講が直系とされる(下記論文注14)。戦前は地域によって枝講を上組・下組・西組・東組に分けた。1941年(昭和16年)、宗教団体法の成立とともに枝講が結集して宗教結社「木曽御嶽福寿講社」が設立されるが、戦後は消滅して、各講社が独立で活動している。福寿講の系譜を引くものに、日出講、明栄講、阿波福寿講がある。御嶽山内では黒沢四合目、護摩堂原霊神場に元祖福寿講の霊神場があり、寿覚の霊神像がある。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」) 護摩堂原霊神場
西開・西覚 阿波福寿講 徳島県名西郡石井町 四国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講開祖)に師事した西開(小川増助)が1841年(天保12年)ごろに設立。1861年(文久1年)、登拝中の御座にて国常立尊と白川大権現が出現し、黒沢八合目を阿波行者に渡す旨の神託が下る。これが、黒沢八合目女人堂周辺の霊神場、「阿波ケ岳」の起源である。また1862年(文久2年)7月28日の登拝中の御座にて国常立尊の神託が下り、それに基づき、1864年(元治1年)に西覚(米田利九郎)が石井町に白川神社(太祖福寿教会)を創建。木曽御嶽本教所属。(『木曽のおんたけさん』154-164頁) 阿波ケ岳霊神場
白川神社
古伯・明寛・明心 心願講 愛知県日進市岩崎?
愛知県愛知郡長久手町?
尾張国の覚明系御嶽講。古伯(倉知茂兵衛)が1830年(天保1年)に設立。同年、378名の講員を率いて登拝する。儀覚(宮丸講講祖)の弟子でもある明寛が継承し、古伯の実子である明心とともに発展させた。当初は長久手の岩作御嶽山(心願分祠殿)を拠点としたが、のち日進市の岩崎御嶽山を拠点とするようになった。ただし岩崎御嶽山は中部地方の御嶽講全体の霊場との位置づけが強いという。また明寛の弟子明直によって古瀬間御嶽山が開山された。岩作御嶽山は1855年(安政2年)の創建(『御嶽の歴史』339)。岩崎御嶽山は1860年(万延1年)に明寛、明心によって創建された。岩崎御嶽山は東海地方最大の霊神場となっている。心願講は木曽御嶽本教設立時の母体となった講社の一つでもある。御嶽山内では黒沢八合目、阿波ケ岳霊神場と金剛童子霊神場に心願講の霊神場がある。尾張東部を中心に尾張三河に分布している。最盛期には尾張三河を合わせて137講社が存在していたという。倉知家が心願講大社長を務める。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」) 岩作御嶽山
岩崎御嶽山
阿波ケ岳霊神場
金剛童子霊神場
覚成 日出講 岐阜県美濃市大矢田 美濃国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講講祖)の弟子、覚成が設立。1850年(嘉永3年)に美濃武儀郡大矢田村庄屋の治郎兵衛宅において、覚成が火難病難除の祈祷を行ったのを契機に大矢田村を拠点として設立された。儀具や空明とも交流があったという。(以上、『木曽のおんたけさん』36-37頁)大矢田に御嶽神社があるが、日出講に関わるものかもしれない。百間滝木曽教会(百間滝不動講)は日出講系の村井鉄五郎が大正年間に創設した(『三岳村誌』662頁)。大矢田の講社をはじめ、木曽御嶽本教に所属する講社がある。御嶽山内では黒沢四合目、護摩堂原霊神場に日出講の霊神場がある。また同所に日出滝を造営している。美濃地域(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」)あるいは木曽川流域(菅原寿清「覚明・普寛とその弟子達の時代」)に多い。 大矢田御嶽神社
護摩堂原霊神場
日出滝
覚礼 明栄講 愛知県海部郡甚目寺町新居屋 尾張国の覚明系御嶽講。寿覚(福寿講講祖)の系譜を継承し、開作(上田松尾講)にも師事した覚礼が設立。1861年(文久1年)に若者組として設立された山田組が起源。1874年(明治7年)に明栄講に改組した。甚目寺町の明栄分祠殿が主な拠点。明治中期にいろは順に組を制定した。多くは木曽御嶽本教に所属しているが、一部は御嶽教に所属している。稲沢にある稲沢明栄講は、同地の御嶽神社(稲沢市稲葉三丁目)を拠点としているが、その護摩は「御嶽教明栄講の護摩修法」として市指定無形民俗文化財に指定されている。御嶽山黒沢口四合目の護摩堂原霊神場に霊神場がある。(関敦啓「中部地域における御嶽講の展開と現状」) 明栄分祠殿
護摩堂原霊神場
覚翁(丹羽多治右衛門) 誕生講(牛山講) 愛知県春日井市牛山 尾張国の覚明系御嶽講。1832年(天保3年)に覚明の甥の丹羽多治右衛門(覚翁)が設立。覚翁は、18歳の頃から覚明を尊敬し、毎年三度は御嶽山に先達として登拝していた。同志が増えたので1832年(天保3年)に設立したという。近隣44村を巡って拡大した。東春日井郡と名古屋市の一部を合わせて、55村に講ができた。現在、牛山にあった講(牛山覚明堂の地を拠点)は廃絶したが、関田誕生講(1844年(弘化1年)設立)など春日井市内にいくつかの講が今も活動している。御嶽山黒沢口八合目の金剛童子霊神場に霊神場がある。(『郷土誌かすがい 第49号』平成8年9月15日ホームページ版) 牛山覚明堂
金剛童子霊神場
清寛 出生講 愛知県清須市 清洲・新川町 尾張国の覚明系御嶽講。清寛(瀬尾半四郎)が設立。その後、清洲町を中心とする理覚(瀬尾半右衛門)の系統と、新川町を拠点とする覚司の系統(安政年間に設立)とに分派した。清洲町の講社の現状は不詳だが、新川町(中河原にある)の出生講は、木曽御岳本教に所属している。金峯山修験本宗に所属する講社もある。御嶽山黒沢口八合目の金剛童子霊神場に覚司霊神像がある。(『木曽のおんたけさん』37頁) 覚明山
開作霊神、広徳霊神 松尾講 長野県上田市 信濃国上田の御嶽講。開作広徳が設立した講社。開作は広徳に命じて文久年間に松尾滝を造営する。同所に霊神場もある。 護摩堂原霊神場
松尾滝


関東系

開祖 名称 拠点所在地 コメント 霊場
広山 高砂講 東京都 江戸の普寛系御嶽講。江戸最古の講社。1797年(寛政9年)に岩戸権現(王滝里宮)に参籠した記録が残っている。のち御嶽教設立の母体のひとつとなった。高砂講の名称は、普寛を経済的に援助した信者の秩父屋歳次の住所、日本橋高砂町に由来する。拠点は不明。花戸普寛堂に普寛供養塔を建てている。 花戸普寛堂
泰賢 普寛本講(塚本講) 埼玉県本庄市 武蔵国本庄の普寛系御嶽講。泰賢が設立した講社。普寛霊場を中心に活動したと思われるが不詳。 本庄普寛霊場
一心 一心講 埼玉県深谷市 武蔵国の普寛系御嶽講。普寛最後の弟子といわれる一心が設立した講社。1821年(文政4年)5月13日、一心ほか七名の門人が幕府によって捕縛され、一心は遠島となり、門人は所払いなどにされた。この後、盛心(処罰された門人の一人)らの活躍によって復興した。武蔵国北西部(秩父・奥武蔵・児玉地方)から上野国南部の各地に分布。明王院智観の丸尾講、二代目真乗院の金山講などがある。また一心の出身地である信濃上本入村(上田市武石上本入)にも講社がある。御嶽教を設立した下山応助は一心講系の行者といわれており、同じく御嶽教設立に関わった柴崎嘉角も一心講系の丸江講の行者だった。 並木一心霊場
一心神社
盛心 丸江講 埼玉県深谷市江原 武蔵国の普寛系御嶽講。一心の弟子の盛心が設立した講社。盛心は獄死した一心の名誉回復に尽力した。盛心は1822年(文政5年)1月に上江原村に摩利支天社を創建した。盛心が尾張家の信任を得たことから、葵紋(蔓三つ葵)の使用を許可された(現在の御嶽教の紋)。丸江講の名称も、尾張家より江戸屋敷の「江」の字を用いることを許可されたことに基づくという。盛心養子の柴崎嘉角は、御嶽教設立委員となり、丸江講は御嶽教設立の母体の一つとなった。一心霊場を維持。(『御嶽山丸江元講宝物拝見記』20-27頁) 並木一心霊場
摩利支天社
一山 一山講 埼玉県さいたま市中央区与野 武蔵国の普寛系御嶽講。一心の系譜を継承する一山が設立した講社。一山は精力的に布教を進めた。御座を行わない講社が多く、そのため、先達が講元を兼ねている場合もある。御嶽神社創建を特に盛んに行なっているのが特徴である。一山は嶺に御嶽神社を創建。「関東第一分社」を称した。現在の練馬区地域に一山講が広がっており、4社ほど一山講が建てた御嶽神社がある。与野に一山神社がある。川越街道沿いや中山道沿いの一部に分布する。(牧野真一「関東地域における一心・一山系講の展開」) 一山神社
与野御嶽神社
嶺御嶽神社ほか
中里允修 巴講 茨城県結城市 下総国の普寛系御嶽講。国学を学んだ中里允修が設立した講社。元は中里允修が創始した「天心術」を学ぶ門人組織だった。巴講の名称は三種の神器の智仁勇の三徳を象徴する巴紋に由来するという。中里允修が江戸に出張で来ていた黒沢御嶽神社の武居若狭と出会い、その勧めにより1839年(天保10年)に講員約280名により初めて御嶽山を登拝する。以後、毎年の恒例となった。明治初期に黒沢里宮、若宮を造営している。二代中里守常が1851年(嘉永4年)鶏頂山を開山。1863年(文久3年)に中里務之助、大貫直正により日光大真名子山を開山。関東巴講本祠教会は木曽御嶽本教に所属している。同地には御嶽神社がある。御嶽山内では黒沢四合目、護摩堂原霊神場に巴講の霊神場がある。(『三岳村誌』826) 鶏頂山
大真名子山
御嶽神社 (茨城県結城市)
護摩堂原霊神場

木曽谷

開祖 名称 拠点所在地 コメント 霊場
金剛院順明 太元講 福島、岩郷、上田、三尾 木曽谷の福島宿の普寛系御嶽講。木曽における最古の御嶽講の一つ。講元は古畑新七(滝普霊神)。福島中畑に本拠地がある。順明を先達として1806年(文化3年)に設立。順明のほか広山や泰賢も関与していたらしい。1877年(明治10年)までは「開闢金剛体」と称していた。当初、福島を中心に設立され、その後拡大された。1814年(文化11年)に代官山村家の息女の病気を祈祷により治癒したことから、山村家の帰依を受けた。伊谷の永田山、清見山、越立、日向、川合権現、上田新町に御嶽神社を設けた。王滝里宮周辺および川西郷谷に霊神場がある。川合権現には講祖順明の霊神碑がある。1844年(弘化1年)に剣が峰頂上に「太元神」の神像を祀った(剣が峰頂上最古の神像。のち1856年(安政3年)に再建)。秩父両神山山頂に御嶽大神碑を寄進している。太元講の名称は、御嶽大神こと国常立神の別称「太元神」に由来するものと思われる(「太元神」は吉田神道の「太元尊神」に由来すると思われる。)。一時期、神道本局に所属していたが、のち所属なしに活動している。三尾村黒田沢渡の太元普寛講や越立の「越立普寛講」、日向の「大元日向講」、桑原大半場の「大元桑原講」が明治時代に分派している。(『三岳村誌』662、670-676頁) 川合権現
両神山
吉神 王滝麓講 王滝村 御嶽山麓の王滝集落の普寛系御嶽講。木曽における最古の御嶽講の一つ。普寛による開山の際に、案内および強力を務めた吉左衛門(吉神)が設立した。王滝口の花戸普寛堂を創建。吉左衛門の死後、一時断絶したが、明治初年に小谷吉右衛門によって再興された。昭和初年以降は衰微しているという。(『御嶽の歴史』159-161頁) 花戸普寛堂
妙法開 黒沢麓講 黒沢 御嶽山麓の黒沢集落の覚明系御嶽講。木曽における最古の覚明講の一つ。1824年(文政7年)に重潔斎当時の道者を母体として設立されたという。妙法開という人物が設立したらしいが不詳。1838年(天保9年)に大泉寺に覚明供養塔を建立した(最古の覚明碑)。さらに1859年(安政6年)には赤岩巣に覚明碑を建立した(山内最古の覚明碑)。木曽御嶽本教所属の「麓太元講」が活動を続けている。(『御嶽の歴史』162頁、『三岳村誌』662頁) 大泉寺
護摩堂原霊神場
義具 黒川覚明講 黒川、福島、熊沢、未川、西野 御嶽山麓の黒川集落などによる覚明系御嶽講。義具が、空明と古野粂蔵の協力を得て、天保年間に設立(1841年(天保12年)の燈籠が現存)。野田野神社(1885年(明治18年)再興)を創建。1885年(明治18年)に五つの講社に分かれ、現在も活動しているという。黒川村全戸が加入していた。一時期、神道本局に所属していたが、のち所属なしに活動している。(『御嶽の歴史』163-165頁) 野田野神社
空明 御嶽講 西野 御嶽山麓の西野集落の覚明系御嶽講。空明の指導によって天保年間に設立されたという。尾ノ島の滝近くの中部電力キャンプ場跡地に空明の霊神碑がある。西野の覚明祠と関連があると思われる。(『三岳村誌』661-662頁) 尾ノ島の滝
覚明祠
(不明) 積善講 薮原宿 木曽谷の薮原宿の普寛系御嶽講。広山の系譜をつぐ。嘉永年間以前の設立。かつては非常に盛んで、薮原宿の浄土真宗以外の全戸が参加していた。現在は衰退している。鳥居峠に石造物が現存している。(『三岳村誌』661頁) 鳥居峠御嶽山遥拝所
泰賢 北講 奈良井宿 木曽谷の奈良井宿の普寛系御嶽講。泰賢を先達として、永井惣衛門らによって文化年間に設立された。現在は活動してない。鳥居峠に石造物が現存している。(『三岳村誌』661頁) 鳥居峠御嶽山遥拝所
(不明) 安産講 野尻 木曽谷の野尻集落の覚明系御嶽講。天保年間に設立。創設者は不明。名称は、覚明が安産のお守りを授けたという伝承に基づいているという。霊神場には覚明堂が建てられている。現在は活動していない。(『三岳村誌』663-664頁) 野尻覚明堂


脚注

  1. 『木曽御嶽信仰』13頁
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%BE%A1%E5%B6%BD%E8%AC%9B」より作成

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