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本向寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月9日 (月)
本向寺(ほんこうじ)は福井県福井市市波町にある浄土真宗寺院。蓮如による吉崎御坊の創建に貢献した。浄土真宗本願寺派。院家の格式を持っていた。本願寺福井別院の近くに支坊がある。山号は隆向山。
大須賀胤信が親鸞に帰依して本光坊明空と名乗り創建。宇坂大谷に移転。現在の福井市宇坂大谷町の下大谷の字坊屋敷が跡地と伝える。 了顕は吉崎御坊に多屋を立てて運営に貢献。1474年、吉崎御坊火災の時に火中に飛び込み、親鸞真筆の教典を割いた腹の中に収めて守ったが、焼死した。この「腹籠りの聖教」は現在も西本願寺に現存するという。 越後高田を経て1506年加賀江沼に移転。越前に帰還し、獺ケ口に移転。現在の福井市獺ケ口町の字寺屋敷が跡地と伝える。1582年、二宮神社の境内地を割いて現在地に移転した。 1647年、福井城下に支坊を構え、1659年類焼して移転した。 1708年、院家に列格。 (『日本歴史地名大系』)
組織
歴代住職
- 1明空()<>:俗名は大須賀胤信。千葉常胤の四男という。本光坊と号す。
- 2明堅()<>:
- 3
- 4
- 5了顕(?-1474)<>:吉崎御坊火災の時に親鸞真筆を守るために焼死。本光坊と号す。吉崎御坊跡に墓碑がある。
- 6了恵()<>:
- 7
- 8
- 9
- 10
- 11
- 12祐忍()<>:
- 秀賢
- 13
- 14
- 15
- 16
- 17
- 18
- 19本照()<>:広幡家出身。欽仰院。
資料
- 本向寺文書