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松平家の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年3月26日 (火)
(松平家から転送)
歴代
- 1松平親氏(生没年不詳):世良田有親の子とされる。永享の乱で幕府の追及を受けて上野国新田荘得川村を出る。落ち延びて無量光寺で父と共に時宗の僧侶となり、徳阿弥と称したという伝説がある。無量光寺滞在中、高野山蓮華院の院主と師檀関係を結んだという(1439年のこととされる)。のち三河国加茂郡の松平郷に移り住んだとされる。岡崎時宗光明寺に僧としていたとも。1377年、豊田市六所神社を創建(のち岡崎に分社)。1392年、豊田市曹洞宗妙昌寺を創建という。高月院を創建したともいう。菩提寺は法蔵寺。墓所は信光明寺、高月院。無量光寺に髪塔がある。木造坐像が松平郷松平家に伝わる。芳樹院後山徳翁。
- 2松平泰親(生没年不詳):松平親氏の子(弟とも)。松平郷を出て額田郡岩津に拠点を構えた。1426年、若一王子社を創建。父の菩提寺として法蔵寺を創建。1436年死去とも、1472年死去ともいう。墓所は信光明寺、高月院。
- 3松平信光(1404-1488):松平泰親の子(一説に松平親氏の子)。応永28年、岩津の中根大膳を破る。伊勢貞親の家臣となる。1461年に三河妙心寺を嫡男の菩提寺として創建。1471年(1479年とも)安祥城を攻略。や岡崎を攻略した。1488年7月22日死去。墓所は信光明寺。
- 4松平親忠(1431-1501):松平信光の子。伊賀八幡宮を創建。墓所は高月院。
- 5松平長親(1473-1544):
- 6松平信忠(1486-1531):
- 7松平清康(1511-1535):墓所は三河・大林寺。1535年、高野山蓮華院に納骨される。
- 8松平広忠(1526-1549):徳川家康の父。瑞雲院殿応政道幹。成烈院殿。大樹寺殿。墓所は松応寺、三河・大林寺、法蔵寺、清光寺。霊廟は大樹寺にあったが廃絶した。
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