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法然院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月10日 (火)
法然院(ほうねんいん)は、京都府京都市左京区にある法然旧跡の浄土宗寺院。建永の法難のきっかけとなった法会の場所とされる。知恩院38世万無が将軍徳川家綱に請願して天和元年(1681)に創建。実質的な開山は、その弟子の忍徴信阿(1645-1711)。忍徴信阿は浄土宗興律派の律僧で、法然院を世俗から離れた律院とした。江戸時代は無本寺だった。近代には浄土宗知恩院派の特別寺院だったが、戦後、離脱して単立となる。鹿ケ谷法然院。
組織
歴代
- 1忍徴信阿(1645-1711):浄土宗興律派(浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で京都・西明寺を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、神鳳寺での修行を望んだが、真言宗寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の山城・正法寺に滞在。知恩院に晋山した万無に招かれ、京都の法然院を創建した。宣誉。
- 2懐音玄阿(?-1714):本蓮社真誉玄阿
- 明覚智了(1710-1780):
- 学信(1724-1789):1766年(明和3年)に法然院住職となるが半年もたたずに辞職。宮島光明院住職となる。
- 現定
- 獅子谷仏定():善導寺57世。京都文教大学の前身を設立。
- 万里小路麟雄()
- 29獅子谷如是():梶田信順。
- 30橋本峰雄(1924-1984):1976年(昭和51年)住職就任。1984年(昭和59年)3月7日死去。59歳。
- 梶田真章: