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神田神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*本居豊穎(1834-1913)<1873->:[[国学者]]。[[本居家]]当主。(略歴は、[[平野神社#組織]]を参照)
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===社司===
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*平田盛胤(1863-1946)<>:(略歴は、[[平田家#歴代]]を参照)
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*平田盛胤(1863-1946)<>:[[平田篤胤]]の曾孫。初名は戸沢盛定。東京帝国大学卒。1894年(明治27年)神田神社社司。東京府神職会会長。1946年(昭和21年)死去。1945年(昭和20年)2月28日死去とも。(略歴は、[[平田家#歴代]]を参照)
===宮司===
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*大鳥居吾朗()<1946-1982>:1946年(昭和21年)6月、神田神社宮司。1982年(昭和57年)12月引退。
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*大鳥居吾朗()<1946-1982>:神社本庁長老。1905年(明治38年)生。1929年(昭和4年)日本大学法文学部卒。同年亀戸天神社に奉職。1930年(昭和5年)神田神社に奉職。1940年(昭和15年)神田神社社掌。1946年(昭和21年)6月、神田神社宮司。1971年(昭和46年)亀戸天神社宮司を兼務。1965年(昭和40年)4月から1977年(昭和52年)3月まで東京都神社庁長。1981年(昭和56年)神社本庁長老。1982年(昭和57年)12月26日死去。
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*大鳥居信史(1939-)<1987-2019>:東京出身。1939年(昭和14年)生。国学院大学卒。1964年(昭和39年)1月、神田神社に奉職。1971年(昭和46年)立石熊野神社宮司。1987年(昭和62年)神田神社宮司。2019年(令和1年)4月30日退任。
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*今永利男()<>:東京都出身。1918年(大正7年)生。1943年(昭和18年)皇典講究所神職養成部卒。同年、秋葉神社社司(宮司)。1947年(昭和22年)神田神社権禰宜。1960年(昭和35年)神田神社禰宜。1980年(昭和55年)神田神社権宮司。1983年(昭和58年)2月8日、神田神社宮司。1987年(昭和62年)5月20日死去。
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*大鳥居信史(1939-)<1987-2019>:大鳥居吾朗の長男。1939年(昭和14年)生。1962年(昭和37年)国学院大学文学部卒。1963年(昭和38年)明治神宮出仕。1964年(昭和39年)1月、神田神社権禰宜。1971年(昭和46年)立石熊野神社宮司。1980年(昭和55年)神田神社禰宜。1983年(昭和58年)神田神社権宮司。1987年(昭和62年)6月8日、神田神社宮司。2019年(令和1年)4月30日退任。
*清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。
*清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。
===権宮司===
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*石橋堅吉()<>:1960年(昭和35年)神田神社権宮司。
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*今永利男()<>:1980年(昭和55年)神田神社権宮司。
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*大鳥居信史()<>:1983年(昭和58年)神田神社権宮司。
==画像==
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2022年2月28日 (月) 時点における版

神田神社(かんだ・じんじゃ)は、東京都千代田区にある、平将門信仰の総本社。准勅祭社府社別表神社。(参考:同名神社神田神社 (同名)

目次

歴史

組織

祠官

  • 神代名臣()<>:1872年(明治5年)5月8日就任。
  • 大崎昌庸()<1872-1873>:1872年(明治5年)6月24日就任。1873年(明治6年)7月25日退任。
  • 本居豊穎(1834-1913)<1873->:国学者本居家当主。(略歴は、平野神社#組織を参照)

社司

  • 平田盛胤(1863-1946)<>:平田篤胤の曾孫。初名は戸沢盛定。東京帝国大学卒。1894年(明治27年)神田神社社司。東京府神職会会長。1946年(昭和21年)死去。1945年(昭和20年)2月28日死去とも。(略歴は、平田家#歴代を参照)

宮司

  • 大鳥居吾朗()<1946-1982>:神社本庁長老。1905年(明治38年)生。1929年(昭和4年)日本大学法文学部卒。同年亀戸天神社に奉職。1930年(昭和5年)神田神社に奉職。1940年(昭和15年)神田神社社掌。1946年(昭和21年)6月、神田神社宮司。1971年(昭和46年)亀戸天神社宮司を兼務。1965年(昭和40年)4月から1977年(昭和52年)3月まで東京都神社庁長。1981年(昭和56年)神社本庁長老。1982年(昭和57年)12月26日死去。
  • 今永利男()<>:東京都出身。1918年(大正7年)生。1943年(昭和18年)皇典講究所神職養成部卒。同年、秋葉神社社司(宮司)。1947年(昭和22年)神田神社権禰宜。1960年(昭和35年)神田神社禰宜。1980年(昭和55年)神田神社権宮司。1983年(昭和58年)2月8日、神田神社宮司。1987年(昭和62年)5月20日死去。
  • 大鳥居信史(1939-)<1987-2019>:大鳥居吾朗の長男。1939年(昭和14年)生。1962年(昭和37年)国学院大学文学部卒。1963年(昭和38年)明治神宮出仕。1964年(昭和39年)1月、神田神社権禰宜。1971年(昭和46年)立石熊野神社宮司。1980年(昭和55年)神田神社禰宜。1983年(昭和58年)神田神社権宮司。1987年(昭和62年)6月8日、神田神社宮司。2019年(令和1年)4月30日退任。
  • 清水祥彦(1960-)<2019->:東京都出身。1960年(昭和35年)生。国学院大学卒。東京都神社庁副庁長。神田神社権宮司。2019年(令和1年)5月1日、神田神社宮司。

権宮司

  • 石橋堅吉()<>:1960年(昭和35年)神田神社権宮司。
  • 今永利男()<>:1980年(昭和55年)神田神社権宮司。
  • 大鳥居信史()<>:1983年(昭和58年)神田神社権宮司。

画像

資料

  • 本居豊穎1892『神田神社由緒略記』[1]:短い
http://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A5%9E%E7%94%B0%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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