ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
興福寺四恩院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
(?歴史) |
|||
2行: | 2行: | ||
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
十三重塔は[[白河法皇]]御願で建立。[[春日明神]]の本地仏の[[釈迦如来]]、[[薬師如来]]、[[地蔵菩薩]]、[[観音菩薩]]、[[文殊菩薩]]が祀られていた。文明12年11月19日に焼失したが文明17年4月に立柱の記録があり、すぐに再建されたらしい。江戸時代初期には十三重塔の他、表大門、裏門、衆会所、鐘楼、浮雲神社などがあったが、明和年間に焼失した。鎮守の[[浮雲神社]]、聖明神社、愛宕神社は[[春日大社]]末社として現存。 | 十三重塔は[[白河法皇]]御願で建立。[[春日明神]]の本地仏の[[釈迦如来]]、[[薬師如来]]、[[地蔵菩薩]]、[[観音菩薩]]、[[文殊菩薩]]が祀られていた。文明12年11月19日に焼失したが文明17年4月に立柱の記録があり、すぐに再建されたらしい。江戸時代初期には十三重塔の他、表大門、裏門、衆会所、鐘楼、浮雲神社などがあったが、明和年間に焼失した。鎮守の[[浮雲神社]]、聖明神社、愛宕神社は[[春日大社]]末社として現存。 | ||
- | [[開化天皇]]の[[春日率川宮]] | + | [[開化天皇]]の[[春日率川宮]]跡とする説がある(平城坊目拙考による。ただし率川神社説の方が有力)。 |
(日本歴史地名大系ほか) | (日本歴史地名大系ほか) | ||
[[category:奈良県]] | [[category:奈良県]] |
2018年4月14日 (土) 時点における版
興福寺四恩院(こうふくじ・しおんいん)は、大和国にあった興福寺の子院。若草山の南西麓、現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあった。本堂はなく、十三重塔を中心とした子院だったらしい。通称は野田四恩院。興福寺関連旧跡、春日大社関連旧跡も参照。
歴史
十三重塔は白河法皇御願で建立。春日明神の本地仏の釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩が祀られていた。文明12年11月19日に焼失したが文明17年4月に立柱の記録があり、すぐに再建されたらしい。江戸時代初期には十三重塔の他、表大門、裏門、衆会所、鐘楼、浮雲神社などがあったが、明和年間に焼失した。鎮守の浮雲神社、聖明神社、愛宕神社は春日大社末社として現存。 開化天皇の春日率川宮跡とする説がある(平城坊目拙考による。ただし率川神社説の方が有力)。 (日本歴史地名大系ほか)