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興福寺四恩院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年4月14日 (土)
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- | + | '''興福寺四恩院'''(こうふくじ・しおんいん)は、大和国にあった[[興福寺]]の子院。若草山の南西麓、現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあった。本堂はなく、十三重塔を中心とした子院だったらしい。通称は'''野田四恩院'''。[[興福寺関連旧跡]]、[[春日大社関連旧跡]]も参照。 | |
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+ | 十三重塔は[[白河法皇]]御願で建立。[[春日明神]]の本地仏の[[釈迦如来]]、[[薬師如来]]、[[地蔵菩薩]]、[[観音菩薩]]、[[文殊菩薩]]が祀られていた。文明12年11月19日に焼失したが文明17年4月に立柱の記録があり、すぐに再建されたらしい。江戸時代初期には十三重塔の他、表大門、裏門、衆会所、鐘楼、浮雲神社などがあったが、明和年間に焼失した。鎮守の[[浮雲神社]]、聖明神社、愛宕神社は[[春日大社]]末社として現存。 | ||
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+ | (日本歴史地名大系ほか) | ||
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2018年4月14日 (土) 時点における最新版
興福寺四恩院(こうふくじ・しおんいん)は、大和国にあった興福寺の子院。若草山の南西麓、現在の奈良春日野国際フォーラムのあたりにあった。本堂はなく、十三重塔を中心とした子院だったらしい。通称は野田四恩院。興福寺関連旧跡、春日大社関連旧跡も参照。
歴史
十三重塔は白河法皇御願で建立。春日明神の本地仏の釈迦如来、薬師如来、地蔵菩薩、観音菩薩、文殊菩薩が祀られていた。文明12年11月19日に焼失したが文明17年4月に立柱の記録があり、すぐに再建されたらしい。江戸時代初期には十三重塔の他、表大門、裏門、衆会所、鐘楼、浮雲神社などがあったが、明和年間に焼失した。鎮守の浮雲神社、聖明神社、愛宕神社は春日大社末社として現存。 開化天皇の春日率川宮跡とする説がある(平城坊目拙考による。ただし率川神社説の方が一般的)。 (日本歴史地名大系ほか)