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関東神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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==歴史== | ==歴史== | ||
| + | *1937年5月11日:対満事務局から内務省に照会。 | ||
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| + | *1938年 | ||
| + | *2月3日:内務省から対満事務局。 | ||
| + | *4月20日:対満事務局から内閣。 | ||
1938年6月1日、内閣告示第3号で旅順に関東神宮を創立し、社格を官幣大社に列し、祭神を天照大神と明治天皇とすることを昭和天皇が仰出したことを示す。 | 1938年6月1日、内閣告示第3号で旅順に関東神宮を創立し、社格を官幣大社に列し、祭神を天照大神と明治天皇とすることを昭和天皇が仰出したことを示す。 | ||
これを受け、関東神宮造営事務局および造営委員会を設置。 | これを受け、関東神宮造営事務局および造営委員会を設置。 | ||
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==古典籍== | ==古典籍== | ||
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| - | == | + | ==資料== |
| - | + | ===史料=== | |
| - | + | *『公文類聚』「関東神宮ヲ創立セラル」[https://www.digital.archives.go.jp/das/image/M0000000000001767085] | |
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2020年8月9日 (日) 時点における版
| 関東神宮 かんとう じんぐう | |
| 概要 | 植民地関東州の総鎮守。 |
| 奉斎 | 天照大神、明治天皇 (土岐昌訓論文) |
| 所在地 | (関東州旅順市新市街町) |
| 所在地(旧国郡) | |
| 所属(現在) | |
| 格式など | 官幣大社 |
| 関連記事 | 明治天皇旧跡・ |
目次 |
概要
関東神宮(かんとう・じんぐう)は、植民地関東州大連近郊の旅順にあった、天照大神と明治天皇を祀る神社。廃絶。植民地関東州の総鎮守。
歴史
- 1937年5月11日:対満事務局から内務省に照会。
- 12月28日:対満事務局から内務省に照会。
- 1938年
- 2月3日:内務省から対満事務局。
- 4月20日:対満事務局から内閣。
1938年6月1日、内閣告示第3号で旅順に関東神宮を創立し、社格を官幣大社に列し、祭神を天照大神と明治天皇とすることを昭和天皇が仰出したことを示す。 これを受け、関東神宮造営事務局および造営委員会を設置。
10月29日、「関東神宮造営事務局及関東神宮造営委員会規程」を公布(関東局令第87号)(1940年9月17日改正) 11月9日、関東州庁に関東神宮造営事務局を設置(関東局告示第61号)。 11月3日には関東神宮奉賛会が設立された。
1944年4月15日、鎮座日同年10月1日と例祭日6月1日と決定(大東亜省告示第25号) 1944年8月31日、「関東神宮職員令」公布(勅令第539号)。 在満洲大使の管轄 宮司1人、禰宜1人、主典6人と定められた。 1945年11月17日、外務省告示第11号(22日付)で南洋神社と共に廃止された(樺太神社や朝鮮の神社や台湾の神社についても同17日廃止。22日付内務省告示第264号[1])。
境内
組織
宮司
- 佐藤重三郎(1883-1952)<1944->:群馬県嬬恋村出身。1883年生。1906年、国学院大学卒。皇典講究所に奉職。1908年、群馬県の熊野神社などの社掌。神宮神部署長野支署長。1916年5月1日、神宮神部署主事。1922年3月30日、神宮神部署神部(任免裁可書[2]。1928年7月28日、伊勢神宮禰宜。鹿児島神宮宮司。志波彦神社塩竈神社宮司。1930年、志波彦神社塩竃神社神職養成所を創設し初代所長。塩竈在職中に宮城県護国神社社司を兼務か。1944年9月14日、関東神宮初代宮司(任免裁可書[3])1948年、国学院大学理事。1952年死去。(『神道人名辞典』、「叙位裁可書」[4]ほか。未見「佐藤重三郎宮司の片鱗」)
画像
資料
史料
- 『公文類聚』「関東神宮ヲ創立セラル」[5]