ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

善通寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
'''善通寺'''(ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある、[[空海]]ゆかりの[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。空海の生誕地。[[四国八十八所霊場]]第75札所。本尊は薬師如来。寺伝によると、伽藍は、空海が学んだ唐の[[青龍寺]]を建てられたという。[[法然]]、[[重源]]、[[一遍]]の旧跡。讃岐国[[利生塔]]。[[真言宗善通寺派]]総本山。
'''善通寺'''(ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある、[[空海]]ゆかりの[[真言宗]]の[[真言宗の本山寺院|本山寺院]]。空海の生誕地。[[四国八十八所霊場]]第75札所。本尊は薬師如来。寺伝によると、伽藍は、空海が学んだ唐の[[青龍寺]]を建てられたという。[[法然]]、[[重源]]、[[一遍]]の旧跡。讃岐国[[利生塔]]。[[真言宗善通寺派]]総本山。
 +
==伽藍==
 +
===東院===
 +
「伽藍」と呼ばれる。
 +
*金堂:本尊は薬師如来。当初は空海作の像だったが、永禄の火災で焼失。現在の本尊は1700年(元禄13年)の造立。高さ3mの巨像で、内部に当初の像の焼けた破片を収めるという。807年(大同2年)建立。1699年(元禄12年)再建。有栖川宮幟仁親王筆の「大宝楼閣陀羅尼」額を掲げる。
 +
*釈迦堂:本尊は釈迦如来。
 +
*常行堂:1243年(寛元1年)3月には存在。
 +
*法華堂:鎌倉時代中期に存在。
 +
*講堂:1243年(寛元1年)3月には存在。
 +
*五重塔:空海が建立。1070年(延久2年)の強風で倒壊。後宇多上皇の院宣で泉涌寺素廸に再建を命じられている。1344年(康永3年)讃岐国利生塔に指定され、12月10日に落慶。永禄の兵火で焼失。桃園天皇綸旨より1804年(文化1年)10月16日に再建。1840年(天保11年)焼失。1845年(弘化2年)仁孝天皇綸旨により再建が進められたが途中、明治維新の混乱で中断し、1902年(明治35年)完成。高さ43m。総欅造り。扉の梵字は慈雲の筆。五重大塔。
 +
*祠:楠
 +
*五社明神社
 +
*三帝御廟:後嵯峨天皇・亀山天皇・後宇多天皇の爪髪を収める。治定外。
 +
*佐伯祖廟:祭神は佐伯善通と玉寄御前。尊像を奉安。佐伯明神と玉寄明神と呼ばれる。
 +
*「足利尊氏利生塔」
 +
*旅大師堂
 +
*法然逆修塔:「法然上人逆修之塔」
 +
*五百羅漢
 +
*西国霊場
 +
*南大門
 +
*赤門
 +
*中門
 +
*鐘楼
 +
*天神社
 +
*龍王社
 +
*経堂
 +
*筆塚
 +
*茶筅塚
-
==組織==
+
===西院===
 +
「誕生院」と呼ばれる。1249年(建長1年)の開創。空海が生まれた佐伯邸跡とされる。
 +
*御影堂:本尊は空海。奥殿がある。秘仏。1209年(承元3年)と1225年(嘉禄1年)に上洛した。土御門天皇の天覧の時、またたきをしたため、瞬目大師と呼ばれる。1831年(天保2年)の再建。地下に「戒壇巡り」がある。
 +
*産湯井:
 +
*御影池:
 +
*親鸞堂:本尊は親鸞。「鎌田の御影」。親鸞が62歳で関東地方を巡教した時、下総国鎌田荘(千葉県市川市)の吉田源五左衛門易幹という者の家に滞在。去る時に名残を惜しまれたので自らの木像を刻んで背面に詩を刻み、師の法然が逆修塔を建てた善通寺に参詣を果たせないのでこの像を善通寺に送って誓願を遂げたいと遺命した。その後、吉田家で祀られていたが、「早く善通寺に送れ」との夢告があり、孫の吉田源次左衛門年幹が善通寺に収めたという。
 +
*閻魔堂:
 +
*護摩堂:
 +
*地蔵堂:
 +
*聖霊殿:
 +
*光明殿:
 +
*聖天堂:
 +
*弁天社:
 +
*ビルマ戦没者慰霊塔:ビルマ連邦共和国議会議長ネウイン寄進の仏像と仏舎利を収める。ビルマ戦線で戦没した18万余の「英魂」を祀る。また「ビルマ国の勇士並びに英印軍の戦士の霊」も合祀。1968年(昭和43年)建立。「パゴダ供養塔」。
 +
*仁王門:
 +
*勅使門:
 +
*宸殿:
 +
*表書院:
 +
*鐘楼:
 +
*いろは会館:寺務所。宿坊
 +
*大旭殿
 +
*暁雲殿
 +
*大浴場
 +
*大玄関
 +
*宝物館:
 +
*遍照閣:1985年(昭和60年)の1150年遠忌記念に建設。四国霊場お砂踏み道場がある。
 +
 +
===香色山===
 +
ミニ四国霊場
 +
佐伯祖廟
 +
愛染明王
 +
不動明王
 +
稲荷神社奥殿
 +
荒神社
 +
五智院
 +
日切地蔵
 +
粟島大明神
 +
稲荷神社
 +
 +
 +
*空海記念碑:四国の有志が中国西安の青龍寺跡に建立した記念碑の縮小模造。
 +
 +
 +
 +
==子院==
 +
*観智院:807年(大同2年)創建。十善坊。1925年(大正14年)再建。本尊は十一面観音。1934年(昭和9年)の空海1100年御遠忌のときに修行大師像を建立。その下は納骨堂となっている。
 +
*華蔵院:
 +
*勧学院:中世に存在。
 +
*安養院:中世に存在。
 +
*玉泉院:中世に存在。寿永年間に西行が庵を結んだ。西行庵。
 +
*[[讃岐・仙遊寺|仙遊寺]]:本尊は地蔵菩薩。空海が5、6歳の時に泥土で仏像を作り、小堂を建てて祀ったという。のち地元の人はこの地を仙遊ケ原と呼び、地蔵菩薩を祀った。第11師団練兵場の建設のため、移転を余儀なくされたが、乃木希典は霊夢を受け、元の位置に霊跡を保存した。
 +
1951年(昭和26年)7月7日、仙遊寺と称した。第11師団の日露戦争戦没者の奉安殿がある。2013年(平成25年)8月に旧堂を解体。
 +
*[[讃岐・曼荼羅寺|曼荼羅寺]]:平安時代には一体的に運営された。
 +
 +
==組織==
 +
===別当===
=== 誕生院院主 ===
=== 誕生院院主 ===

2020年10月18日 (日) 時点における版

善通寺(ぜんつうじ)は、香川県善通寺市にある、空海ゆかりの真言宗本山寺院。空海の生誕地。四国八十八所霊場第75札所。本尊は薬師如来。寺伝によると、伽藍は、空海が学んだ唐の青龍寺を建てられたという。法然重源一遍の旧跡。讃岐国利生塔真言宗善通寺派総本山。

目次

伽藍

東院

「伽藍」と呼ばれる。

  • 金堂:本尊は薬師如来。当初は空海作の像だったが、永禄の火災で焼失。現在の本尊は1700年(元禄13年)の造立。高さ3mの巨像で、内部に当初の像の焼けた破片を収めるという。807年(大同2年)建立。1699年(元禄12年)再建。有栖川宮幟仁親王筆の「大宝楼閣陀羅尼」額を掲げる。
  • 釈迦堂:本尊は釈迦如来。
  • 常行堂:1243年(寛元1年)3月には存在。
  • 法華堂:鎌倉時代中期に存在。
  • 講堂:1243年(寛元1年)3月には存在。
  • 五重塔:空海が建立。1070年(延久2年)の強風で倒壊。後宇多上皇の院宣で泉涌寺素廸に再建を命じられている。1344年(康永3年)讃岐国利生塔に指定され、12月10日に落慶。永禄の兵火で焼失。桃園天皇綸旨より1804年(文化1年)10月16日に再建。1840年(天保11年)焼失。1845年(弘化2年)仁孝天皇綸旨により再建が進められたが途中、明治維新の混乱で中断し、1902年(明治35年)完成。高さ43m。総欅造り。扉の梵字は慈雲の筆。五重大塔。
  • 祠:楠
  • 五社明神社
  • 三帝御廟:後嵯峨天皇・亀山天皇・後宇多天皇の爪髪を収める。治定外。
  • 佐伯祖廟:祭神は佐伯善通と玉寄御前。尊像を奉安。佐伯明神と玉寄明神と呼ばれる。
  • 「足利尊氏利生塔」
  • 旅大師堂
  • 法然逆修塔:「法然上人逆修之塔」
  • 五百羅漢
  • 西国霊場
  • 南大門
  • 赤門
  • 中門
  • 鐘楼
  • 天神社
  • 龍王社
  • 経堂
  • 筆塚
  • 茶筅塚

西院

「誕生院」と呼ばれる。1249年(建長1年)の開創。空海が生まれた佐伯邸跡とされる。

  • 御影堂:本尊は空海。奥殿がある。秘仏。1209年(承元3年)と1225年(嘉禄1年)に上洛した。土御門天皇の天覧の時、またたきをしたため、瞬目大師と呼ばれる。1831年(天保2年)の再建。地下に「戒壇巡り」がある。
  • 産湯井:
  • 御影池:
  • 親鸞堂:本尊は親鸞。「鎌田の御影」。親鸞が62歳で関東地方を巡教した時、下総国鎌田荘(千葉県市川市)の吉田源五左衛門易幹という者の家に滞在。去る時に名残を惜しまれたので自らの木像を刻んで背面に詩を刻み、師の法然が逆修塔を建てた善通寺に参詣を果たせないのでこの像を善通寺に送って誓願を遂げたいと遺命した。その後、吉田家で祀られていたが、「早く善通寺に送れ」との夢告があり、孫の吉田源次左衛門年幹が善通寺に収めたという。
  • 閻魔堂:
  • 護摩堂:
  • 地蔵堂:
  • 聖霊殿:
  • 光明殿:
  • 聖天堂:
  • 弁天社:
  • ビルマ戦没者慰霊塔:ビルマ連邦共和国議会議長ネウイン寄進の仏像と仏舎利を収める。ビルマ戦線で戦没した18万余の「英魂」を祀る。また「ビルマ国の勇士並びに英印軍の戦士の霊」も合祀。1968年(昭和43年)建立。「パゴダ供養塔」。
  • 仁王門:
  • 勅使門:
  • 宸殿:
  • 表書院:
  • 鐘楼:
  • いろは会館:寺務所。宿坊
  • 大旭殿
  • 暁雲殿
  • 大浴場
  • 大玄関
  • 宝物館:
  • 遍照閣:1985年(昭和60年)の1150年遠忌記念に建設。四国霊場お砂踏み道場がある。


香色山

ミニ四国霊場 佐伯祖廟 愛染明王 不動明王 稲荷神社奥殿 荒神社 五智院 日切地蔵 粟島大明神 稲荷神社


  • 空海記念碑:四国の有志が中国西安の青龍寺跡に建立した記念碑の縮小模造。


子院

  • 観智院:807年(大同2年)創建。十善坊。1925年(大正14年)再建。本尊は十一面観音。1934年(昭和9年)の空海1100年御遠忌のときに修行大師像を建立。その下は納骨堂となっている。
  • 華蔵院:
  • 勧学院:中世に存在。
  • 安養院:中世に存在。
  • 玉泉院:中世に存在。寿永年間に西行が庵を結んだ。西行庵。
  • 仙遊寺:本尊は地蔵菩薩。空海が5、6歳の時に泥土で仏像を作り、小堂を建てて祀ったという。のち地元の人はこの地を仙遊ケ原と呼び、地蔵菩薩を祀った。第11師団練兵場の建設のため、移転を余儀なくされたが、乃木希典は霊夢を受け、元の位置に霊跡を保存した。

1951年(昭和26年)7月7日、仙遊寺と称した。第11師団の日露戦争戦没者の奉安殿がある。2013年(平成25年)8月に旧堂を解体。

  • 曼荼羅寺:平安時代には一体的に運営された。

組織

別当

誕生院院主

  • 宥範(1270-1352)<>:1331年(元弘1年/元徳3年)善通寺誕生院再興。宥鑁。
  • 宥源()<>:
  • 宥成()<>:
  • 尊翁()<>:
  • 〓瓊()<>:
  • 〓貞()<>:
  • 宥謙()<1666-1691>:
  • 光胤()<>:
  • 円龍()<>:
  • 光歓()<>:
  • 光天()<>:
  • 高国()<>:
  • 寛充()<>:
  • 厳蔵()<>:
  • 厳暁(-1847)<>:
  • 慈定()<>:
  • 厳猷()<1847-1858>:
  • 旭雅()<>:
  • 法遵()<>:
  • 宥粲()<>:
  • 蓮生観善()<>:


住職

現在は法主と称する。

  • 亀谷宥英()<>:
  • 蓮生善隆()<>:
  • 高吉清順()<>:随心院門跡。
  • 57樫原禅澄(1940-)<2008-2018>:自坊は常楽寺。
  • 58菅智潤(1949-)<2018-2023予定>:自坊は円明寺。2018年3月1日就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%96%84%E9%80%9A%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール