ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
江戸・鳳閣寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月18日 (木)
(版間での差分)
(間の1版分が非表示) | |||
1行: | 1行: | ||
+ | [[ファイル:青山渋谷絵図・鳳閣寺001.jpg|thumb|500px|『青山渋谷絵図』(1849~1862)の梅窓院の東隣に「法覚寺」とあるのが鳳閣寺とみられる]] | ||
'''鳳閣寺'''(ほうかくじ)は、[[江戸]]青山にあった[[当山]][[修験]]の'''諸国総袈裟頭'''・'''[[江戸触頭]]'''を務めた[[真言宗]]寺院。本尊は[[不動明王]](江戸名所図会)。元は'''戒定院'''(戒定慧院)と言ったが、[[大和・鳳閣寺]]を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。 | '''鳳閣寺'''(ほうかくじ)は、[[江戸]]青山にあった[[当山]][[修験]]の'''諸国総袈裟頭'''・'''[[江戸触頭]]'''を務めた[[真言宗]]寺院。本尊は[[不動明王]](江戸名所図会)。元は'''戒定院'''(戒定慧院)と言ったが、[[大和・鳳閣寺]]を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。 | ||
12行: | 13行: | ||
*『寺社書上』「実相寺縁記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/84] | *『寺社書上』「実相寺縁記」[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/84] | ||
*『寺社書上』二諦坊領朱印状[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/91] | *『寺社書上』二諦坊領朱印状[https://dl.ndl.go.jp/pid/2571405/1/91] | ||
+ | *坂本勝成1977「修験道の学寮について―当山派を中心に」[https://dl.ndl.go.jp/pid/7937879/1/34] | ||
[[category:東京都]] | [[category:東京都]] |
2024年4月18日 (木) 時点における最新版
鳳閣寺(ほうかくじ)は、江戸青山にあった当山修験の諸国総袈裟頭・江戸触頭を務めた真言宗寺院。本尊は不動明王(江戸名所図会)。元は戒定院(戒定慧院)と言ったが、大和・鳳閣寺を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。
観応年間、伊豆にあった。向因山実相寺吉蔵院と称した。のち1699年(元禄12年)、俊尊が吉野鳳閣寺の兼務を命じられ、寺号を改めた(『東洋文庫東都歳時記』註)。浜松の二諦坊と康松院も兼務した。 湯島天満宮の下にあったが湯島聖堂の南に移転(武江年表)。1675年(延宝3年)のことか(同註)。 1786年(天明6年)1月22日、湯島神田一帯の火災で焼失(武江年表)。 1798年(寛政10年)湯島から青山梅窓院の東隣に移転(日本歴史地名大系)(武江年表では寛政11年とある)。