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法相宗
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2021年8月21日 (土)
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===中国=== | ===中国=== | ||
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+ | *法相曼荼羅:弥勒を中心に8人の祖師を描く | ||
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*ジュニャーナシュリーミトラ(980頃-1030頃) | *ジュニャーナシュリーミトラ(980頃-1030頃) | ||
*ラトナキールティ(1000頃-1050頃) | *ラトナキールティ(1000頃-1050頃) | ||
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+ | ===朝鮮=== | ||
+ | *[[元暁]](617-686):新羅の僧。一般には[[華厳宗]]の僧とされるが、研究範囲は多岐にわたる。 | ||
+ | *義寂(681-?):新羅の僧。 | ||
+ | *憬興(生没年不詳):新羅の僧。 | ||
+ | *太賢(生没年不詳):のちに新羅法相宗の祖とされる。 | ||
===中国=== | ===中国=== | ||
*道宣(596-667):律宗の開祖だが、唯識を律宗の教理で位置付ける試みもしている。 | *道宣(596-667):律宗の開祖だが、唯識を律宗の教理で位置付ける試みもしている。 | ||
*[[玄奘]](602-664) | *[[玄奘]](602-664) | ||
- | * | + | *円測(613-696):新羅出身の僧。玄奘に師事。西明寺を拠点として窮基とは違う一派をなしたという。 |
- | * | + | *[[窺基]](632-682):[[大慈恩寺]]に住す。慈恩大師。 |
+ | *義浄(635-713):訳経僧。唯識経典も少なくない。 | ||
+ | *神泰(生没年不詳):玄奘の弟子。倶舎宗。 | ||
+ | *普光(生没年不詳):倶舎宗。 | ||
+ | *法宝(生没年不詳):倶舎宗。 | ||
+ | *円暉(生没年不詳):倶舎宗。 | ||
+ | *玄応(生没年不詳):唐代初期の僧。音韻と唯識に秀でた。 | ||
+ | *慧沼(650?-714):淄州大師。 | ||
*智周(668-723):慧沼に師事。報城寺に住す。弟子に玄昉。通称は、撲揚大師。 | *智周(668-723):慧沼に師事。報城寺に住す。弟子に玄昉。通称は、撲揚大師。 | ||
- | * | + | *湛然(711-781):天台宗の学僧。唯識にも通じる。 |
*慧〓() | *慧〓() | ||
*道岳() | *道岳() | ||
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*智旭(1599-1655):天台宗の学僧。唯識にも通じる。 | *智旭(1599-1655):天台宗の学僧。唯識にも通じる。 | ||
- | * | + | *欧陽竟无(1872-1943):中国近代の在家仏教者。楊文会に師事。唯識哲学を復興。 |
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*熊十力(1882-1968):近代の思想家。 | *熊十力(1882-1968):近代の思想家。 | ||
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===日本=== | ===日本=== | ||
- | *[[道昭]](629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。[[玄奘]]に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。[[元興寺]] | + | ====飛鳥・奈良時代==== |
+ | *[[道昭]](629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。[[玄奘]]に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。[[元興寺]]に禅院を設けた。元興寺に伝わった法相宗の流れは南寺伝と呼ばれた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。 | ||
*定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。 | *定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。 | ||
*智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | *智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。 | ||
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*智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | *智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。 | ||
*[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。龍門寺、龍蓋寺などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、龍蓋寺と菅生寺にある。 | *[[義淵]](?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。龍門寺、龍蓋寺などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、龍蓋寺と菅生寺にある。 | ||
- | *[[行基](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、大和・竹林寺。 | + | *[[行基]](668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、大和・竹林寺。 |
- | *[[玄昉]](?- | + | *[[玄昉]](?-746):北寺伝の祖。法相宗六祖の一人。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、玄宗から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも吉備真備と共に権勢をふるうが、藤原広嗣の乱を経て観世音寺に左遷された。墓は、観世音寺にある。 |
- | *神叡(?- | + | *神叡(?-737):法相宗六祖の一人。南寺伝。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。 |
- | *善珠(723- | + | *善珠(723-797):法相宗六祖の一人。北寺伝。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、秋篠寺を創建。最澄の招きで延暦寺根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。 |
- | *行賀(729- | + | *行賀(729-803):法相宗六祖の一人。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と天台宗を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。 |
+ | *昌海(生没年不詳):北寺伝。善珠に師事。興福寺に入る。 | ||
+ | *基継:北寺伝。昌海に師事? | ||
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====平安時代==== | ====平安時代==== | ||
- | *玄賓(734- | + | *勝虞(732-811):元興寺の学僧。行基や神叡門下の尊応に学ぶ。法相と因明に通じる。勝悟とも。 |
+ | *玄賓(734-818):法相宗六祖の一人。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、桓武天皇の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国湯川山寺に隠遁。平城上皇の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に阿弥陀寺を創建。 | ||
*延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、坂上田村麻呂に帰依を受け、清水寺を創建。子島寺報恩に師事。 | *延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、坂上田村麻呂に帰依を受け、清水寺を創建。子島寺報恩に師事。 | ||
- | *常騰(740- | + | *常騰(740-815):法相宗六祖の一人。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。梵釈寺別当、崇福寺検校を兼ねた。 |
- | *護命(750- | + | *護命(750-834):法相宗僧侶。南寺伝。秦氏。美濃国各務郡出身。美濃国分寺で学び、元興寺万耀に師事。勝虞に法相を学ぶ。吉野山でも修行。桓武天皇に授戒。最澄の大乗戒壇設置の主要に反対。梵釈寺に引退するが復帰。元興寺小塔院で死去。著書『大乗法相研神章』。 |
*[[徳一]](760?-840?):法相宗の僧侶。常陸・中禅寺、会津・慧日寺などを開く。 | *[[徳一]](760?-840?):法相宗の僧侶。常陸・中禅寺、会津・慧日寺などを開く。 | ||
*景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。 | *景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。 | ||
*霊仙(生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。空海や最澄と同時に入唐。醴泉寺に滞在し、般若に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。五台山で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 | *霊仙(生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。空海や最澄と同時に入唐。醴泉寺に滞在し、般若に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。五台山で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。 | ||
*修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に室生寺を創建。興福寺別当。〓生禅師。興福寺伝法院を創建。伝法院流。 | *修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に室生寺を創建。興福寺別当。〓生禅師。興福寺伝法院を創建。伝法院流。 | ||
+ | *仲継(?-843):南寺伝。薬師寺最勝会を創始。 | ||
+ | *明詮(?-868):南寺伝。仲継に師事。弥勒信仰に厚く、元興寺玉華院を創建。唯識因明に秀でた。 | ||
+ | *円宗(?-883):元興寺の学僧。南寺伝。三論宗も。 | ||
+ | *仁斅(875-949):南寺伝の僧侶。円宗に師事。 | ||
+ | *空晴(878-957):北寺伝の僧侶。基継に師事? | ||
+ | *定昭(906-983):南寺伝の僧侶。仁斅に師事。大覚寺別当、東寺長者、興福寺別当、金剛峰寺座主を歴任。興福寺一乗院を創建。 | ||
+ | *仲算(生没年不詳):北寺伝の僧侶。空晴に師事。延暦寺良源を論破。 | ||
+ | *真興():北寺伝の僧侶。仲算に師事。真言宗でも活躍し子島流を開く。 | ||
+ | *基操 | ||
+ | *信叡 | ||
+ | *永超(1014-1095):興福寺の学僧。斉恩寺に住す。法隆寺別当。著書『東域伝燈目録』。 | ||
*隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。興福寺大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。 | *隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。興福寺大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。 | ||
*頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。内山永久寺を創建。 | *頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。内山永久寺を創建。 | ||
*実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。中川寺を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。 | *実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。中川寺を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。 | ||
*尋範(1101-1174):法相宗の僧。大乗院3世。藤原師実の子。内山永久寺に住す。内山僧正。 | *尋範(1101-1174):法相宗の僧。大乗院3世。藤原師実の子。内山永久寺に住す。内山僧正。 | ||
+ | *蔵俊(1104-1180):興福寺の学僧。興福寺興善院を創建。著書『法相宗章疏目録』。 | ||
*行信(生没年不詳) | *行信(生没年不詳) | ||
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====鎌倉時代==== | ====鎌倉時代==== | ||
*[[貞慶]](1155-1213): | *[[貞慶]](1155-1213): | ||
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*凝然(1240-1321): | *凝然(1240-1321): | ||
====室町時代==== | ====室町時代==== | ||
+ | *尋尊(1430-1508):興福寺の学僧。大乗院門跡。 | ||
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====近世==== | ====近世==== | ||
*聞証(1634-1688):浄土宗の学僧。浄土宗学を隅々に検討した結果、唯識研究が欠けているとして興福寺で唯識を学ぶ。著書『略述法相義』。 | *聞証(1634-1688):浄土宗の学僧。浄土宗学を隅々に検討した結果、唯識研究が欠けているとして興福寺で唯識を学ぶ。著書『略述法相義』。 | ||
+ | *照山恵晃(1656-1737):浜岡家出身。玉周に師事。唐招提寺長老。泉涌寺長老。顕密のほか、倶舎、唯識、悉曇、因明に通ず。著書『枳橘易土集』。 | ||
*信培(1675-1747):浄土律の学僧。諸学に通じ、唯識や華厳を究める。詳細は[[律宗の諸師旧跡]]を参照。 | *信培(1675-1747):浄土律の学僧。諸学に通じ、唯識や華厳を究める。詳細は[[律宗の諸師旧跡]]を参照。 | ||
*覚州(?-1756):華厳宗の僧侶。[[京都・華厳寺]]の鳳潭の弟子。唯識研究で知られ、『成唯識論』への書き入れが残り、参照される。中村宗玄。 | *覚州(?-1756):華厳宗の僧侶。[[京都・華厳寺]]の鳳潭の弟子。唯識研究で知られ、『成唯識論』への書き入れが残り、参照される。中村宗玄。 | ||
+ | *普寂(1707-1781):浄土律の学僧。伊勢の真宗寺院の出身。華厳、倶舎などを講じる。 | ||
+ | |||
====近代==== | ====近代==== | ||
*大鹿愍成(1857-1925):浄土宗知恩院派の学僧。宗教大学(大正大学)教授。金戒光明寺法主。唯識が専門。 | *大鹿愍成(1857-1925):浄土宗知恩院派の学僧。宗教大学(大正大学)教授。金戒光明寺法主。唯識が専門。 |
2021年8月21日 (土) 時点における最新版
法相宗(ほっそうしゅう)は、北伝仏教・大乗仏教の一宗派。玄奘弟子の慈恩大師窺基を開祖とする。 単称法相宗も参照。
目次 |
一覧
インド
中国
日本
教義
「六経十一論」と呼ばれる経典を重視。
信仰
- 法相曼荼羅:弥勒を中心に8人の祖師を描く
人物
インド
- 弥勒(マイトレーヤナータ)(350頃-430頃)
- 無著(アサンガ、阿僧伽)(395頃-470頃)
- 世親(ヴァスバンドゥ)(400頃-480頃)
- 陳那(域龍、ディグナーガ)(480頃-540頃)
- 無性(アスヴァバーヴァ)()
- 真諦(パラマールタ)(499-569)
- 徳慧:十大論師の一人。安慧の師、または兄弟子。南インド出身。瞿那末底。
- 安慧(スティラマティ)(510頃-570頃):十大論師の一人。
- 親勝:十大論師の一人。
- 難陀:十大論師の一人。6世紀。歓喜。
- 浄月:十大論師の一人。
- 火弁:十大論師の一人。
- 護法(ダルマパーラ)(530-561):十大論師の一人。
- 勝友:十大論師の一人。護法の弟子。
- 最勝子:十大論師の一人。護法の弟子。慎那弗〓羅、辰那弗多羅、仏子、最勝真子。
- 智月:十大論師の一人。護法の弟子。
- 戒賢(シーラバドラ)(529-645):護法に師事。玄奘に教える。
- 法称(ダルマキールティ)(600頃-660頃)
- ラトナーカラシャーンティ(シャーンティパ)(生没年不詳):11世紀。
- ジュニャーナシュリーミトラ(980頃-1030頃)
- ラトナキールティ(1000頃-1050頃)
朝鮮
- 元暁(617-686):新羅の僧。一般には華厳宗の僧とされるが、研究範囲は多岐にわたる。
- 義寂(681-?):新羅の僧。
- 憬興(生没年不詳):新羅の僧。
- 太賢(生没年不詳):のちに新羅法相宗の祖とされる。
中国
- 道宣(596-667):律宗の開祖だが、唯識を律宗の教理で位置付ける試みもしている。
- 玄奘(602-664)
- 円測(613-696):新羅出身の僧。玄奘に師事。西明寺を拠点として窮基とは違う一派をなしたという。
- 窺基(632-682):大慈恩寺に住す。慈恩大師。
- 義浄(635-713):訳経僧。唯識経典も少なくない。
- 神泰(生没年不詳):玄奘の弟子。倶舎宗。
- 普光(生没年不詳):倶舎宗。
- 法宝(生没年不詳):倶舎宗。
- 円暉(生没年不詳):倶舎宗。
- 玄応(生没年不詳):唐代初期の僧。音韻と唯識に秀でた。
- 慧沼(650?-714):淄州大師。
- 智周(668-723):慧沼に師事。報城寺に住す。弟子に玄昉。通称は、撲揚大師。
- 湛然(711-781):天台宗の学僧。唯識にも通じる。
- 慧〓()
- 道岳()
- 智旭(1599-1655):天台宗の学僧。唯識にも通じる。
- 欧陽竟无(1872-1943):中国近代の在家仏教者。楊文会に師事。唯識哲学を復興。
- 熊十力(1882-1968):近代の思想家。
日本
飛鳥・奈良時代
- 道昭(629-700):日本法相宗の開祖。入唐僧。河内国丹比郡出身。船氏。元興寺で学び、653年(白雉4年)に入唐。玄奘に師事し、基と交わった。660年(斉明6年)帰国し、日本に初めて法相宗を伝えたことで著名だが、玄奘の勧めで隆化寺恵満(慧可の弟子)に禅を学び、初めて日本に禅を伝えた人物でもある。元興寺に禅院を設けた。元興寺に伝わった法相宗の流れは南寺伝と呼ばれた。日本初の大僧都。死後、日本で初めて火葬された。
- 定慧(643-665):法相宗の入唐僧。藤原鎌足の長男。653年(白雉4年)、入唐。長安の慧日道場で神泰に学ぶ。12年滞在し、665年(天智4年)帰国してまもなく病死。父の墓を多武峰に築き、妙楽寺を開いたとされる。貞慧。
- 智通(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智達と共に入唐。玄奘や基に学ぶ。金剛山寺を創建したともいう。
- 智達(生没年不詳):法相宗第二伝。658年(斉明4年)に智通と共に入唐し、玄奘や基に師事。帰国後、元興寺で法相宗を広めた。
- 智鳳(生没年不詳):法相宗第三伝。新羅出身。703年(大宝3年)、智雄や智鸞と共に入唐し、智周に学ぶ。日本に戻り、元興寺で法相宗を広めた。
- 義淵(?-728):法相宗僧侶。市往氏(一説に阿刀氏)。大和国高市郡出身。元興寺智鳳に学ぶ。龍門寺、龍蓋寺などを創建。多くの弟子を育て、実質的な日本法相宗の開祖とみなす説もある。墓所は、龍蓋寺と菅生寺にある。
- 行基(668-749):東大寺四聖。法相宗僧侶。高志氏。和泉国出身。道昭や義淵に学んだと言われる。諸国を巡り、架橋や築堤を行い、民衆を教化。東大寺大仏の造立の勧進職を務め、日本初の大僧正となった。墓所は、大和・竹林寺。
- 玄昉(?-746):北寺伝の祖。法相宗六祖の一人。法相宗第四伝。阿刀氏。義淵に師事。入唐して智周に学び、玄宗から紫衣を賜う。多くの経典を持って帰国し興福寺系の法相宗の祖となる。政界でも吉備真備と共に権勢をふるうが、藤原広嗣の乱を経て観世音寺に左遷された。墓は、観世音寺にある。
- 神叡(?-737):法相宗六祖の一人。南寺伝。元興寺の学僧。一説には唐の出身。義淵に学び、法相宗、華厳宗、三論宗に通じる。現光寺で虚空蔵菩薩から自然智を感得。自然智宗の祖となったともいう。芳野僧都。
- 善珠(723-797):法相宗六祖の一人。北寺伝。阿刀氏。興福寺玄昉に学び、法相教学を築く。780年(宝亀11年)、秋篠寺を創建。最澄の招きで延暦寺根本中堂の落慶の導師を務めた。秋篠僧正。
- 行賀(729-803):法相宗六祖の一人。上毛野公氏。大和国広瀬郡出身。興福寺で学び、752年(天平勝宝4年)入唐。31年間にわたり滞在し、法相宗と天台宗を学ぶ。多くの経典を持ち帰った。興福寺別当。
- 昌海(生没年不詳):北寺伝。善珠に師事。興福寺に入る。
- 基継:北寺伝。昌海に師事?
平安時代
- 勝虞(732-811):元興寺の学僧。行基や神叡門下の尊応に学ぶ。法相と因明に通じる。勝悟とも。
- 玄賓(734-818):法相宗六祖の一人。河内国出身。弓削氏。興福寺宣教に学ぶが、伯耆国に隠遁。805年(延暦24年)、桓武天皇の病気平癒祈願のため、京に呼び出された。備中国湯川山寺に隠遁。平城上皇の病気平癒祈願のために再び呼び出された。814年(弘仁5年)に備中に戻る。晩年、伯耆国に阿弥陀寺を創建。
- 延鎮(生没年不詳):法相宗僧侶。798年(延暦17年)、坂上田村麻呂に帰依を受け、清水寺を創建。子島寺報恩に師事。
- 常騰(740-815):法相宗六祖の一人。高橋氏。興福寺で永厳に学ぶ。63巻の経論に注釈を加えた。梵釈寺別当、崇福寺検校を兼ねた。
- 護命(750-834):法相宗僧侶。南寺伝。秦氏。美濃国各務郡出身。美濃国分寺で学び、元興寺万耀に師事。勝虞に法相を学ぶ。吉野山でも修行。桓武天皇に授戒。最澄の大乗戒壇設置の主要に反対。梵釈寺に引退するが復帰。元興寺小塔院で死去。著書『大乗法相研神章』。
- 徳一(760?-840?):法相宗の僧侶。常陸・中禅寺、会津・慧日寺などを開く。
- 景戒(生没年不詳):薬師寺の僧侶。『日本霊異記』(822年(弘仁13年)頃)の著者。
- 霊仙(生没年不詳):日本人唯一の「三蔵」。空海や最澄と同時に入唐。醴泉寺に滞在し、般若に学ぶ。『大乗本生心地観経』の漢訳に従事し、三蔵を与えられた。太元帥法を修得した。五台山で暗殺された。霊宣、霊詮、霊船。
- 修円(771-834?):小谷氏。興福寺賢璟に学び、師と共に室生寺を創建。興福寺別当。〓生禅師。興福寺伝法院を創建。伝法院流。
- 仲継(?-843):南寺伝。薬師寺最勝会を創始。
- 明詮(?-868):南寺伝。仲継に師事。弥勒信仰に厚く、元興寺玉華院を創建。唯識因明に秀でた。
- 円宗(?-883):元興寺の学僧。南寺伝。三論宗も。
- 仁斅(875-949):南寺伝の僧侶。円宗に師事。
- 空晴(878-957):北寺伝の僧侶。基継に師事?
- 定昭(906-983):南寺伝の僧侶。仁斅に師事。大覚寺別当、東寺長者、興福寺別当、金剛峰寺座主を歴任。興福寺一乗院を創建。
- 仲算(生没年不詳):北寺伝の僧侶。空晴に師事。延暦寺良源を論破。
- 真興():北寺伝の僧侶。仲算に師事。真言宗でも活躍し子島流を開く。
- 基操
- 信叡
- 永超(1014-1095):興福寺の学僧。斉恩寺に住す。法隆寺別当。著書『東域伝燈目録』。
- 隆禅(1038-1100):法相宗の僧。藤原政兼の子。興福寺大乗院開山。興福寺権別当、大安寺別当、長谷寺別当。
- 頼実(生没年不詳):法相宗の僧。大乗院2世。内山永久寺を創建。
- 実範(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。中川寺を開く。唐招提寺を復興。本願。中川少将。少将上人。
- 尋範(1101-1174):法相宗の僧。大乗院3世。藤原師実の子。内山永久寺に住す。内山僧正。
- 蔵俊(1104-1180):興福寺の学僧。興福寺興善院を創建。著書『法相宗章疏目録』。
- 行信(生没年不詳)
鎌倉時代
- 貞慶(1155-1213):
- 良遍(1193-1252):東大寺知足院復興
- 宗性(1202-1278):東大寺の学僧。倶舎論、華厳教学、唯識、因明学などを研究。
- 凝然(1240-1321):
室町時代
- 尋尊(1430-1508):興福寺の学僧。大乗院門跡。
近世
- 聞証(1634-1688):浄土宗の学僧。浄土宗学を隅々に検討した結果、唯識研究が欠けているとして興福寺で唯識を学ぶ。著書『略述法相義』。
- 照山恵晃(1656-1737):浜岡家出身。玉周に師事。唐招提寺長老。泉涌寺長老。顕密のほか、倶舎、唯識、悉曇、因明に通ず。著書『枳橘易土集』。
- 信培(1675-1747):浄土律の学僧。諸学に通じ、唯識や華厳を究める。詳細は律宗の諸師旧跡を参照。
- 覚州(?-1756):華厳宗の僧侶。京都・華厳寺の鳳潭の弟子。唯識研究で知られ、『成唯識論』への書き入れが残り、参照される。中村宗玄。
- 普寂(1707-1781):浄土律の学僧。伊勢の真宗寺院の出身。華厳、倶舎などを講じる。
近代
- 大鹿愍成(1857-1925):浄土宗知恩院派の学僧。宗教大学(大正大学)教授。金戒光明寺法主。唯識が専門。
- 佐伯定胤(1867-1952):法隆寺の学僧。
- 曽我量深(1875-1971):真宗大谷派の学僧。真宗学と唯識が専門。清沢満之の弟子。
- 深浦正文(1889-1968):浄土真宗本願寺派の学僧。本願寺勧学。
- 結城令聞(1902-1992):浄土真宗本願寺派の学僧。唯識を軸に仏教思想史を研究。伝道院長などを歴任。