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光明山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年1月22日 (火)
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'''光明山寺'''(こうみょうせんじ)は、山城国相楽郡(京都府木津川市)にあった[[南都仏教]]寺院。南都[[浄土教]]の拠点だった。別所。[[東大寺関連旧跡]]、[[興福寺関連旧跡]]。 | '''光明山寺'''(こうみょうせんじ)は、山城国相楽郡(京都府木津川市)にあった[[南都仏教]]寺院。南都[[浄土教]]の拠点だった。別所。[[東大寺関連旧跡]]、[[興福寺関連旧跡]]。 | ||
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多くの僧が滞在しており、代表的な[[永観]]のほか、頼基、静誉、覚樹、重誉、[[実範]]、心覚、[[明遍]]らが訪れた。 | 多くの僧が滞在しており、代表的な[[永観]]のほか、頼基、静誉、覚樹、重誉、[[実範]]、心覚、[[明遍]]らが訪れた。 | ||
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元々、[[東大寺]]末だったが、室町時代に[[興福寺]]末になった。中世末までに廃絶したらしい。 | 元々、[[東大寺]]末だったが、室町時代に[[興福寺]]末になった。中世末までに廃絶したらしい。 | ||
2019年1月22日 (火) 時点における最新版
光明山寺(こうみょうせんじ)は、山城国相楽郡(京都府木津川市)にあった南都仏教寺院。南都浄土教の拠点だった。別所。東大寺関連旧跡、興福寺関連旧跡。
歴史
平安時代前期に寛朝が開き、のち東大寺僧の厳〓が再建。本尊は薬師如来だったという(〓=「王+罔」)。 多くの僧が滞在しており、代表的な永観のほか、頼基、静誉、覚樹、重誉、実範、心覚、明遍らが訪れた。 源平合戦で、以仁王が光明山寺の鳥居の前で戦死したと伝える。 元々、東大寺末だったが、室町時代に興福寺末になった。中世末までに廃絶したらしい。
(日本歴史地名大系)