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橘寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年11月15日 (日)
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- | + | 創建は不詳。606年(推古14年)、聖徳太子が勝鬘経を講じた褒賞として天皇が創建したともいう(聖徳太子伝暦)。『日本書紀』に680年(天武9年)4月、火災で尼坊が焼失とあるのが文献上の初出。795年(延暦14年)にも火災(類聚国史)。金堂、講堂、五重塔があり四天王寺式に似た[[山田寺]]と同様の伽藍配置だった。白鳳時代から天智朝頃の造営とみられている。1023年(治安3年)10月、[[藤原道長]]が[[高野山]]参詣の途中に参拝。 | |
永正年間、[[多武峰]]衆徒の焼き討ちに遭う。江戸時代の寛文年間には講堂だけが残っていたという。 | 永正年間、[[多武峰]]衆徒の焼き討ちに遭う。江戸時代の寛文年間には講堂だけが残っていたという。 | ||
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- | + | 1953年(昭和28年)から数度の発掘調査が行われる。(国史大辞典、日本歴史地名大系) | |
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2020年11月15日 (日) 時点における最新版
橘寺(たちばな・でら)は、奈良県明日香村にある聖徳太子ゆかりの天台宗寺院。本尊は聖徳太子。太子の生誕地とされ、聖徳太子建立七寺の一つ。関東祈祷所。修験道当山派の正大先達の一つ。上宮皇院、菩提寺と号す。通称は橘樹寺。山号は仏頭山。
歴史
創建は不詳。606年(推古14年)、聖徳太子が勝鬘経を講じた褒賞として天皇が創建したともいう(聖徳太子伝暦)。『日本書紀』に680年(天武9年)4月、火災で尼坊が焼失とあるのが文献上の初出。795年(延暦14年)にも火災(類聚国史)。金堂、講堂、五重塔があり四天王寺式に似た山田寺と同様の伽藍配置だった。白鳳時代から天智朝頃の造営とみられている。1023年(治安3年)10月、藤原道長が高野山参詣の途中に参拝。
永正年間、多武峰衆徒の焼き討ちに遭う。江戸時代の寛文年間には講堂だけが残っていたという。 幕末の1864年(元治1年)に復興され、現在の寺観が幕末から明治初年にかけて整えられた。 1953年(昭和28年)から数度の発掘調査が行われる。(国史大辞典、日本歴史地名大系)