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禅智院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''禅智院'''(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある[[臨済宗]]寺院。本尊は[[地蔵菩薩]]。中世は[[尼門跡]]だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。[[水尾神社]]別当。近代には尼門跡に準ずる[[御由緒寺院]]となった。[[臨済宗南禅寺派]] | + | '''禅智院'''(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある[[臨済宗]]寺院。本尊は[[地蔵菩薩]]。中世は[[尼門跡]]だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。[[水尾神社]]別当。近代には尼門跡に準ずる[[御由緒寺院]]となった。[[臨済宗南禅寺派]]。高島尼御所。近江御所。山号は初杣山。 |
== 歴史 == | == 歴史 == | ||
- | 1280年(弘安3年) | + | 1280年(弘安3年)、鐘山道栄が創建。元は[[通玄寺]]末だった。1567年(永禄10年)、龍渓聖玉が復興。[[伏見宮]]出身の女性皇族が住職を務めた。 |
== 組織 == | == 組織 == | ||
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*龍渓聖玉女王(?-1611):中興。[[伏見宮]]邦輔親王王女。1611年(慶長16年)10月14日死去。湲渓聖玉とも。 | *龍渓聖玉女王(?-1611):中興。[[伏見宮]]邦輔親王王女。1611年(慶長16年)10月14日死去。湲渓聖玉とも。 | ||
*円珠聖栄(?-1629):1629年(寛永6年)12月12日死去。 | *円珠聖栄(?-1629):1629年(寛永6年)12月12日死去。 | ||
- | *雲嶺聖慶女王(?-1642):伏見宮貞清親王王女。1631年(寛永8年) | + | *雲嶺聖慶女王(?-1642):伏見宮貞清親王王女。1631年(寛永8年)11月26日[[曇華院]]で喝食登壇。1638年(寛永15年)11月21日、祝髪受戒。1642年(寛永19年)7月21日死去。 |
*豊安聖竺女王(1634-1670):伏見宮貞清親王王女。初名は豊安聖隆。のち[[曇華院門跡]]に転住して仙岳聖竺に改名。 | *豊安聖竺女王(1634-1670):伏見宮貞清親王王女。初名は豊安聖隆。のち[[曇華院門跡]]に転住して仙岳聖竺に改名。 | ||
*祥山宗真女王(1715-1763):伏見宮邦永親王王女。本務は[[霊鑑寺門跡]]3世。 | *祥山宗真女王(1715-1763):伏見宮邦永親王王女。本務は[[霊鑑寺門跡]]3世。 |
2021年7月10日 (土) 時点における版
禅智院(ぜんちいん)は、滋賀県高島市にある臨済宗寺院。本尊は地蔵菩薩。中世は尼門跡だったが、江戸時代には門跡扱いはされていない。水尾神社別当。近代には尼門跡に準ずる御由緒寺院となった。臨済宗南禅寺派。高島尼御所。近江御所。山号は初杣山。
歴史
1280年(弘安3年)、鐘山道栄が創建。元は通玄寺末だった。1567年(永禄10年)、龍渓聖玉が復興。伏見宮出身の女性皇族が住職を務めた。
組織
住職
- 1鐘山道栄女王():将軍宗尊親王王女。
- 龍渓聖玉女王(?-1611):中興。伏見宮邦輔親王王女。1611年(慶長16年)10月14日死去。湲渓聖玉とも。
- 円珠聖栄(?-1629):1629年(寛永6年)12月12日死去。
- 雲嶺聖慶女王(?-1642):伏見宮貞清親王王女。1631年(寛永8年)11月26日曇華院で喝食登壇。1638年(寛永15年)11月21日、祝髪受戒。1642年(寛永19年)7月21日死去。
- 豊安聖竺女王(1634-1670):伏見宮貞清親王王女。初名は豊安聖隆。のち曇華院門跡に転住して仙岳聖竺に改名。
- 祥山宗真女王(1715-1763):伏見宮邦永親王王女。本務は霊鑑寺門跡3世。
- 平賀祖心()<>:本務は霊鑑寺。(「尼門跡の言語生活からみた女房詞の研究」)