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熱田・誓願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''誓願寺'''(せいがんじ)は、愛知県名古屋市熱田区にある[[熱田神宮]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。尼寺。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[西山浄土宗]]。尼僧は[[伊勢]][[慶光院]]、[[善光寺大勧進]]と共に[[勅許三上人]]の一人で、[[紫衣]]を勅許され、'''熱田上人'''と呼ばれた。定期的に参内することから[[京都]]御幸町通に宿寺を置いた。[[熱田神宮関連旧跡]]。熱田神宮大宮司屋敷の跡地で[[源頼朝]]の生誕地で、江戸時代には頼朝を祀る祠があったが(尾張名所図会)今はないようだ。妙光山。 (参照:同名寺院[[誓願寺 (同名)]]) | '''誓願寺'''(せいがんじ)は、愛知県名古屋市熱田区にある[[熱田神宮]]ゆかりの[[浄土宗]]寺院。尼寺。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[西山浄土宗]]。尼僧は[[伊勢]][[慶光院]]、[[善光寺大勧進]]と共に[[勅許三上人]]の一人で、[[紫衣]]を勅許され、'''熱田上人'''と呼ばれた。定期的に参内することから[[京都]]御幸町通に宿寺を置いた。[[熱田神宮関連旧跡]]。熱田神宮大宮司屋敷の跡地で[[源頼朝]]の生誕地で、江戸時代には頼朝を祀る祠があったが(尾張名所図会)今はないようだ。妙光山。 (参照:同名寺院[[誓願寺 (同名)]]) | ||
+ | ==歴史== | ||
+ | 1525年、日秀善光が創建。1529年ともいう。 | ||
+ | 1600年、焼失。 | ||
+ | 1607年、豊臣秀頼が再建。 | ||
+ | 1608年、前田利家の室が鐘楼を寄進。 | ||
+ | 1615年、松平忠吉が築地を整備。 | ||
+ | 1628年、徳川義直が屋敷地を寄進し、伽藍整備。 | ||
+ | 1643年、東福門院、京都に屋敷地を寄進。 | ||
+ | 1647年、徳川光友の命で長屋を建て水野光綱が後見役として入る。 | ||
+ | 1945年、名古屋空襲で焼失。 | ||
+ | 寺領100石。 | ||
2022年4月30日 (土) 時点における版
誓願寺(せいがんじ)は、愛知県名古屋市熱田区にある熱田神宮ゆかりの浄土宗寺院。尼寺。本尊は阿弥陀如来。西山浄土宗。尼僧は伊勢慶光院、善光寺大勧進と共に勅許三上人の一人で、紫衣を勅許され、熱田上人と呼ばれた。定期的に参内することから京都御幸町通に宿寺を置いた。熱田神宮関連旧跡。熱田神宮大宮司屋敷の跡地で源頼朝の生誕地で、江戸時代には頼朝を祀る祠があったが(尾張名所図会)今はないようだ。妙光山。 (参照:同名寺院誓願寺 (同名))
歴史
1525年、日秀善光が創建。1529年ともいう。 1600年、焼失。 1607年、豊臣秀頼が再建。 1608年、前田利家の室が鐘楼を寄進。 1615年、松平忠吉が築地を整備。 1628年、徳川義直が屋敷地を寄進し、伽藍整備。 1643年、東福門院、京都に屋敷地を寄進。 1647年、徳川光友の命で長屋を建て水野光綱が後見役として入る。 1945年、名古屋空襲で焼失。 寺領100石。
組織
住職
- 1日秀善光(?-1601):日秀妙光とも。夫を失い、善光寺で出家。
- 4照月善光