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椿大神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*山本行俊(1824-1874)<>:1841年吉田家から神道裁許状。1874年5/16死去。 | *山本行俊(1824-1874)<>:1841年吉田家から神道裁許状。1874年5/16死去。 | ||
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*山本行敬()<1894->:初名は首。1894年、社司。 | *山本行敬()<1894->:初名は首。1894年、社司。 | ||
*95山本行輝(1888-1971)<>: | *95山本行輝(1888-1971)<>: |
2019年5月26日 (日) 時点における版
椿大神社(つばき・おおかみ・の・やしろ)は、三重県鈴鹿市にある猿田彦信仰の神社。主祭神は「猿田彦大神」。相殿として瓊々杵尊、栲幡千々姫命、配祀として天之鈿女命、木花咲耶姫命、さらに前座として行満大明神が祀られている(神社ウェブサイト)。都波岐奈加等神社とともに伊勢国一宮の論社とされる。県社。別表神社。
目次 |
歴史
垂仁天皇27年8月に倭姫命の神託を受けて、入道ケ岳・椿ケ岳から麓の現在地に猿田彦神の神霊を遷し、社殿を建てたのが始まりとされる。猿田彦神の末裔に行満というものがおり、現在の神社では、彼は役行者を導いたとされ、「修験神道」の開祖となったとして崇めている。 現在の社家山本家はこの行満の子孫という。
境内
元来の鎮座地である入道ケ嶽山頂に奥宮がある。山中には「いしぐらの磐座」「いしがみの磐座」がある。 別宮として天之鈿女命を祀る椿岸神社がある。官社(式内社)で、相殿に太玉命・天之児屋根命を祀る。行満堂神霊殿は行満を主祭神に「神宮寺6ヵ寺ゆかりの6神」を祀る。また崇敬者物故者などを祀り、祖霊社の役割を果たしている。参道途中にある土公神陵は猿田彦神の陵墓とされる。御船磐座は天孫降臨のときに乗ってきた船を繋ぎ止めたところとされる。 また椿護国神社、県主神社(官社)、松下幸之助社がある。アメリカには分社であるアメリカ椿大神社がある。
組織
神主(前近代)
- 行満:山本家の祖。行満大明神。
- 山本行家()<>:之家も同一人物か。慶長10年吉田家から神道裁許状。
- 山本行次()<>:之次も同一人物か。1630年吉田家から神道裁許状。
- 山本行信()<>:行重より改名か(之重も同一人物か)。1657年吉田家から神道裁許状。1713年吉田家から簾正霊神号。
- 山本行光()<>:1686年、吉田家から神道裁許状。1720年、吉田家から清白霊神号。
- 山本行厚()<>:1717年、吉田家から神道裁許状。1726年、吉田家から令全霊神号。
- 山本行賀()<>:1725年、吉田家から神道裁許状。
- 山本行英()<>:1742年、吉田家から神道裁許状。
- 山本行道()<>:1761年、従五位下に叙任。1797年、吉田家から神主還補。
- 山本行教()<>:1785年、吉田家から神道裁許状。
- 山本行家(1796-)<>:初名は繁麿か。1813年、吉田家から神道裁許状。
- 山本行俊(1824-1874)<>:1841年吉田家から神道裁許状。1874年5/16死去。
近現代
- 山本九春()<1871->:亀山藩士。蘭学者か。1871年8月、祠官。
- 阿部丸一()<>:祠官。
- 大久保清春()<>:祠官。
- 山本行敬()<1894->:初名は首。1894年、社司。
- 95山本行輝(1888-1971)<>:
- 96山本行隆(1923-2002)<1971-2002>:1971年11月宮司就任。2002/8/1死去。
- 97山本行恭()<2002->:2002/9/15就任。
(『椿大神社近世年表』ほか)