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京都大神宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2013年1月25日 (金) 時点における版
京都大神宮 きょうと だいじんぐう | |
概要 | 神宮教会に由来する伊勢神宮の分社。 |
奉斎 |
(京都大神宮ウェブサイト) |
所在地 | |
所属(現在) | 神社本庁 |
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目次 |
概要
京都大神宮(きょうと だいじんぐう)は、伊勢神宮の布教機関であった神宮教の京都教会所に由来する神社。神宮奉斎会京都地方本部の後身。
1873年(明治6年)7月に神宮大宮司本庄宗秀らが浄教寺で説教を行い、出張所を設置したのに始まる。1875年(明治8年)、浄教寺の隣の現在地に一条家より玄関および書院を移築して教殿とした。1881年(明治14年)に神宮遥拝所を創建。傘下に、神風講社や教会を多数設置した。1878年(明治11年)9月に設立された傘下の金沢教会はのち、神宮奉斎会の地方本部となっている(戦後、金沢大神宮となる。)。昭和初年に神宮遥拝所が設けられている[1]。なお火除天満宮は当社の管理だったという。
祭神は、天照皇大神、豊受大神、伊弉諾尊、伊弉冊尊、八柱大神、大地主神、倭比売命、崇敬者の祖霊である[2]。八柱大神が合祀されているのは、昭和初期に神宮奉斎会会長であった今泉定助が提唱した八神殿奉斎論と関連していると思われる[3]。
画像
参考文献
- 京都大神宮ウェブサイト[2]
- 『神宮奉斎会京都本部沿革略史』
- 『袖珍京都名勝廻覧記』
脚注
- ↑ 京都大神宮ウェブサイトによると、伊勢神宮の遥拝と戦争中、御神体安全の為に立てられたもので、現在、御神体は入っておりません」[1]とあるが、1930年(昭和5年)の『神宮奉斎会京都本部沿革略史』に同一のものと思われる遥拝所の写真が掲載されており、戦争中に建てられたとなると齟齬が生じる。戦争中に建てられたとなると、再建されたことになる。
- ↑ 京都大神宮ウェブサイト
- ↑ 神宮奉斎会岡山地方本部にも八神が合祀されている。