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金崎宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』 | *土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』 | ||
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<references/> | <references/> |
2016年4月29日 (金) 時点における版
金崎宮 かねがざさ ぐう | |
概要 | 尊良親王、恒良親王の霊廟。 |
奉斎 | 尊良親王、恒良親王 (土岐昌訓論文) |
所在地 | 福井県敦賀市金ヶ崎町1-1 |
所在地(旧国郡) | |
所属(現在) | 神社本庁 |
格式など | 官幣中社・別表神社 |
関連記事 | 皇族奉斎神社・南朝皇族奉斎神社 |
目次 |
概要
金崎宮(かねがさき・ぐう)は、福井県敦賀市にある、後醍醐天皇の皇子2人尊良親王と恒良親王を祀る神社。南北朝の争乱の激戦地である金ケ崎城跡にある。境内には摂社絹掛神社、末社朝倉神社、尊良親王御陵墓見込地などがある。官幣中社、別表神社。
1890年(明治23年)9月、尊良親王を祭神として創建。2年後の1892年(明治25年)11月に恒良親王を合祀。1893年(明治26年)5月5日、勅使参向の下で(改めて?)鎮座祭を執行。6、7日に奉祝祭を行い、以後5月6日を例祭とした。1903年(明治36年)3月、火災で焼失。現在地に遷して1906年(明治39年)4月に再建された。1897年(明治30年)10月19日、摂社絹掛神社を創建。藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保、瓜生義鑑、里見時成、里見義氏、由良具滋、長浜顕寛、武田与一などの将兵を合祀した。
歴史
境内
画像
参考文献
- 神社ウェブサイト
- 土岐昌訓 平成7「旧官国幣社と延喜式内社」『神社史の研究』