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興福寺禅定院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。 | やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。 | ||
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2017年11月13日 (月) 時点における版
興福寺禅定院は、興福寺の子院。元は元興寺の子院。本尊は弥勒如来(「興福寺諸堂縁起」)。興福寺関連旧跡・元興寺関連旧跡。(参考:同名寺院禅定院)
歴史
成源が元興寺の子院として創建した。禅院寺の後身ともいう。 治承4年(1180)の南都焼討で大乗院門跡が焼失すると、大乗院院主の信円が禅定院に住むようになり、禅定院は興福寺内に擬せられた。 やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。