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興福寺禅定院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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元興寺別当の成源が元興寺の子院として創建した。[[禅院寺]]の後身ともいう。 | 元興寺別当の成源が元興寺の子院として創建した。[[禅院寺]]の後身ともいう。 | ||
早くから大乗院の支配下にあったらしく大乗院2世の頼実が伽藍を造営している(『南都七大寺の歴史と年表』)。 | 早くから大乗院の支配下にあったらしく大乗院2世の頼実が伽藍を造営している(『南都七大寺の歴史と年表』)。 | ||
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やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。 | やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。 | ||
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2017年12月3日 (日) 時点における版
禅定院は、平城京にあった法相宗寺院。興福寺の子院。元は元興寺の子院。本尊は弥勒如来(「興福寺諸堂縁起」)。元興寺の東側にあった。のち大乗院門跡に吸収された。興福寺関連旧跡・元興寺関連旧跡。(参考:同名寺院禅定院)
歴史
元興寺別当の成源が元興寺の子院として創建した。禅院寺の後身ともいう。 早くから大乗院の支配下にあったらしく大乗院2世の頼実が伽藍を造営している(『南都七大寺の歴史と年表』)。 治承4年(1180)の南都焼討で大乗院門跡が焼失すると、大乗院4世の信円(1153-1224)が禅定院に住むようになり、禅定院は興福寺内に擬せられた。 やがて大乗院に吸収されたとみられるが、名目上は禅定院も存続して大乗院院主が兼務する形となっていたようだ。