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法輪寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2018年7月26日 (木) 時点における版
法輪寺(ほうりんじ)は奈良県生駒郡斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの南都仏教の寺院。法相宗系聖徳宗の本山だったが、現在は単立寺院。本尊は薬師如来。太子が感得したという妙見菩薩を祀る妙見堂がある。法隆寺関連旧跡、興福寺関連旧跡。法琳寺、法林寺、三井寺、御井寺。妙見山。(参考:同名寺院法輪寺_(同名))
歴史
創建については2説あり、「御井寺勘録寺家資財雑物等事」によると、推古30年、山背大兄王らが父聖徳太子の命で創建。 もう一つは『上宮聖徳太子伝補闕記』に天智9年の法隆寺の炎上後に百済僧が造営したという記事である。発掘調査では推古朝頃の造営とみられている。法隆寺式伽藍で規模は法隆寺の3分の2だった。 平安時代末には興福寺一乗院の末寺となる。
嘉吉元年(1441)、諸堂を修復。のち豊臣秀吉の祈願寺となる。 江戸時代、正保2年(1645)、暴風で金堂と講堂が倒壊し、三重塔の上層が破損した。 享保16年(1731)、北西方の妙見山にあった妙見堂を境内に移転、 元文2年(1737)、塔が修復された。
明治維新後は東寺の末寺となる。 昭和19年(1944)落雷で塔が焼失。昭和50年に塔が再建された。 昭和25年12月10日、聖徳宗に転属(『法隆寺の秘話』)。
(国史大辞典、日本歴史地名大系)