ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
土津神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年8月5日 (金) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
土津神社(はにつ・じんじゃ)は福島県耶麻郡猪苗代町美禰山にある会津藩主保科正之を祀る垂加神道の霊社。祭神は土津霊神(保科正之)と武内宿禰。県社。磐椅神社の末社だった。領主奉斎神社。
目次 |
祭神
- 保科正之:土津大明神。
- 松平正容:徳翁霊神。
- 松平容貞:土常霊神。
(服部安休伝) 武内宿禰も?
歴史
保科正之は徳川秀忠の四男。山崎闇斎・吉川惟足に師事し、朱子学と垂加神道を学んだ。
- 1669年:隠居
- 1671年11月17日:惟足から土津霊神号を授けられる。
- 1672年8月22日:惟足と家老友松氏興と共に磐梯山麓の見禰山の現在地を検分し、ここに葬るように遺言。(会津の名所旧跡)
- 1672年12月18日:江戸藩邸で死去。
- 1672年12月19日:幕府、神葬祭を許可。伝授を受けているため。(服部安休伝)
- 1672年12月21日:棺、江戸を発す(服部安休伝)
- 1673年1月8日:諸士棺前に拝伏(服部安休伝)
- 1673年1月14日:猪苗代の仮奉安(服部安休伝)
- 1673年1月20日:遥拝所を会津東照宮の片隅に設置。(服部安休伝)
- 1673年2月28日:地鎮祭。斎主は服部安休、山城石清水八幡宮の紀斎宮、磐梯神社の長尾和泉守が補助。(服部安休伝)
- 1673年3月14日:霊柩を見禰山の仮屋に奉遷。(服部安休伝)
- 1673年3月27日:葬儀。翌日未明に埋葬が終わった。(服部安休伝)
- 1674年7月17日:仮社殿を建て初の祭典を執行。(服部安休伝)
- 1675年:友松氏興の監督で社殿が完成し、土津神社が鎮座した。神璽を京都吉田家から迎えた。卜部兼敬。(服部安休伝)
- 1675年4月:神道碑建立。(服部安休伝)
- 1675年8月19日:社殿造営(服部安休伝)
- 1675年8月23日:遷宮式。吉川惟足奉仕。(服部安休伝)
- 1675年8月24日:保科正経、参詣。(服部安休伝)
- 正徳(1711-1716):大明神号。(服部安休伝)
- 1727年6月:大明神号を公表(服部安休伝)
- 1868年:戊辰戦争で新政府軍の侵攻を前に、蹂躙を恐れた猪苗代城代が火を放って焼失。
- 1870年:転封先の斗南藩五戸に遷座。
- 1871年:藩庁移転で田名部に遷座。
- 1874年:会津の旧地に戻り、磐梯神社に仮遷座。
- 1880年:現在の社殿が再建された。
- 1947年:松平容保を合祀(会津の名所旧跡)
(日本歴史地名大系)
境内
本社東側に南から岩彦神社、信彦霊社、久彦霊社、幸彦霊社。西側に南から進功霊社、石彦神社、忠彦霊社が並ぶ。
- 本社:
- 岩彦神社:祭神は保科正頼。保科正之の嫡男。1640年(寛永17年)江戸生。1657年(明暦3年)2月1日死去。18歳。磐彦霊神。
- 信彦霊社:祭神は田中正玄。城代家老。15歳から高遠で保科正之に仕え、1632年(寛永9年)から1666年(寛文6年)まで34年間家老を務め、1667年(寛文7年)から1672年(寛文12年)まで城代を務めた。1672年(寛文12年)5月28日死去。60歳。
- 久彦霊社:祭神は井深重光。1616年(元和2年)高遠出身。1659年(万治2年)11月4日から3代の藩主にわたって家老。1689年(元禄2年)辞職。1700年(元禄13年)4月13日死去。83歳。
- 幸彦霊社:祭神は築瀬正真。家老。1637年(寛永14年)最上で保科正之に仕える。1663年(寛文3年)3月28日から1690年(元禄3年)まで家老。1710年(宝永7年)死去。90歳。
- 進功霊社:祭神は服部安休。林道春に学び、林春斉の推挙で保科正之に仕えた。吉川惟足に神道を学び、会津藩に神道を普及させるきっかけを作った。土津神社初代社司。1681年(天和1年)5月29日死去。63歳。1707年創建(服部安休伝)。
- 石彦神社:祭神は保科正純。保科正之の七子。1652年(承応1年)生。1671年(寛文11年)7月20日死去。20歳。1675年(延宝3年)創建。
- 忠彦霊社:祭神は友松氏興。土佐国出身。13歳のとき京都で保科正之に仕える。43歳で家老。家訓制定、神社政策、保科正之神葬、土津神社創建、土田堰設置、新田開発などの功績があった。1687年(貞享4年)2月29日死去。66歳。
- 天王社:
- 御社之神:
- 神道碑:碑文[1]
- 社地復故記:
- 保科正之墓:
- 神葬祭墓地:
組織
神主
- 服部安休()<>:
- 服部尚誠()<>: