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大嘗祭関連旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2018年12月9日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大嘗祭は、天皇即位の際に行われる祭祀。重要な祭祀でありながら、諸説あるものの祭神は不明という。
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歴史
江戸時代まで香を焚いて、天に即位を知らせるなど、中国式だった即位礼が、明治維新以降、新時代に合わせて神道儀礼として再整備されたのと同様に、大嘗祭も新時代に合わせて、改革された。江戸時代と変更された点は次の通り。
- 京都ではなく、東京で実施された。東京に首都を移す明確な宣言はなされておらず、天皇の東京行幸は人心収攬のための一時的な措置という見方もあったが、事実上の東京遷都を態度として表そうとする政府の判断だったのだろう。しかし、大正、昭和では京都で行われた。平成の大嘗祭では東京で行われた。
- 神饌のための神田を置く悠紀国と主基国は江戸時代を通じて近江と丹波に固定されていたが、変更となった。(都を中心に悠紀は東方、主基は西方である。明治の大嘗祭のみ東西が逆となっているが理由は不明という。)
- 大嘗祭の祭日は、11月の卯の日★であるため、明治の大嘗祭では1871年(明治4年)11月17日に行われたが、大正以降は、干支に関係なく、11月17日となった。
- 奉仕する祭員を改定し、形式的に残っていた中臣・忌部を廃し、神祇省官員が奉仕することとした。(のち掌典職?)
- 上古には行われていたという悠紀国・主基国の風習を織り込んだ舞や歌の奏上を復興させた。
- 国民国家の時代を反映し、一般国民から献納された庭積机代物が供進された。
- 新たに皇后の拝礼が付け加えられた。(大正以降は?)
- 朝廷内の儀礼から全国家・国民的規模の国家祭典となった。
一覧
斎場
献上物
- 山崎忌部神社:徳島県吉野川市。荒妙をつくる。大正、昭和、平成。
- 三龍社:愛知県岡崎市。大正、昭和の和衣。
- 深江稲荷神社:大阪府大阪市。御菅笠
- 往馬坐伊古麻都比古神社:火をおこす道具「火燧木」(ひきりき)を献上。
斎田
近現代の斎田
- 明治大嘗祭悠紀田:山梨県甲府市上石田3-15。明治天皇大嘗祭の悠紀田跡。「悠紀斎田記念ノ碑」がある。南西第一公園。
- 明治大嘗祭主基田:千葉県鴨川市横渚。明治天皇大嘗祭の主基田跡。「明治天皇大嘗祭御斎田主基之地」碑がある。主基斎田址公園。
- 大正大嘗祭悠紀田:愛知県岡崎市中島町上丸ノ内 。大正天皇大嘗祭の悠紀田跡。祭場跡は、悠紀運動公園となっていたが、現在「悠紀の里」として再開発中。祭場跡では毎年6月上旬に「お田植え祭り」(岡崎市無形民俗文化財)が行われている。当時の用具やお田植え祭りの用具が展示されている「六ツ美民俗資料館」がある(1919年(大正8年)建立の斎田記念館に由来)。中島八幡社に斎田の榊が移植されており、また大正天皇を祭った大正宮がある。斎田跡の斎田公園には記念碑がある。
- 大正大嘗祭主基田:香川県綾歌郡綾川町山田上。大正天皇大嘗祭の主基田跡。「主基斎田之碑」がある。斎田が現存し、毎年6月に「お田植えまつり」が実施されている。その他、三豊市豊中町に「主基斎田御筵の碑」、「主基斎田風俗歌の碑」、綾川町山田上に「主基斎田耕牛 千代号の碑」が現存。香川県立農業経営高等学校は主基斎田選定を記念して設立された学校。
- 昭和大嘗祭悠紀田:滋賀県野洲市三上。御上神社のそば。昭和天皇大嘗祭の悠紀田跡。斎田と「悠紀斎田記念碑」がある。毎年5月にお田植え祭りを実施。悠紀地方記念館があったが、1961年(昭和36年)の室戸台風で倒壊。悠紀斎田記念田。
- 昭和大嘗祭主基田:福岡県福岡市脇山村。昭和天皇大嘗祭の主基田跡。「大嘗祭主基斎田碑」がある。お田植舞が行われている。脇山中央公園。
- 平成大嘗祭悠紀田:秋田県南秋田郡五城目町大川地区。今上天皇大嘗祭の悠紀田跡。「平成悠紀の里」碑がある。秋田県神社庁が県内各地持ち回りで、悠紀田を記念する祭典を行なっている。
- 平成大嘗祭主基田:大分県玖珠郡玖珠町小田。今上天皇大嘗祭の主基田跡。斎田跡の現状は不明。嵐山滝神社に「平成大嘗祭主基地方の碑」がある。