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盛岡・本誓寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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本誓寺(ほんせいじ)は、岩手県盛岡市(陸奥国(陸中国)岩手郡)にある、親鸞高弟二十四輩第10番是信房ゆかりの浄土真宗寺院。教団草創期に東北地方布教の拠点となった古刹。真宗大谷派。是信房の墓所。複数ある奥州本誓寺の正統とされる。御影像は「蓮冠の御真影」(はすかむりのごしんねい)として知られる。盛岡藩南部家の庇護を受け、盛岡城の北東1.2kmの市街地にある。「石森山重願院本誓寺」(せきしんざん・じゅうがんいん・ほんせいじ)。(参考:同名寺院本誓寺)
是信房(ぜしんぼう)は、京都出身の藤原氏公家で、俗名を吉田信明と言ったが、平氏の没落で流罪となって、越後柏崎にいた。このとき、親鸞に出会い、弟子になった。親鸞の善光寺参詣に従ったとき、善光寺如来の夢告で師が刻んだ阿弥陀像を納めた寺院を託された(松代・本誓寺)。のち常陸の稲田の草庵にいた親鸞の下に参じ、奥州布教の命令を受けた。陸奥国和賀郡(現・岩手県花巻市・北上市・西和賀町)を経て、同国紫波郡彦部(ひこべ)の石ケ森(いしがもり)に移り、拠点とした。陸奥本誓寺の始まりである。
彦部が斯波氏領となると、斯波氏が居城とした郡内の陸奥郡山城(高水寺城)下に移転した。のち郡山城が南部家の居城となり、南部信直が新たな拠点として岩手郡に盛岡城を築くと城下町の現在地に移った。江戸時代は南部藩の浄土真宗の触頭だった。
彦部の旧地は、彦部・正養寺となった。また郡山の旧地は、江戸時代は掛所(支院)として残り、明治13年、独立した寺院となった(郡山・本誓寺)。是信房の墓所は、石ケ森にあるが、盛岡の当寺にも築かれた。山号の「石森山」は創建時にあった場所の地名、「本誓寺」は浄土信仰に基づく名称と思われる。
参考文献
- 今井雅晴監修 2011『親鸞聖人 関東ご旧跡ガイド』本願寺出版社
- 郡山本誓寺しおり