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総寧寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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総寧寺(そうねいじ)は、千葉県市川市国府台にある曹洞宗寺院。本尊は釈迦如来。通幻寂霊が創建した通幻派の拠点。関三刹、総持寺直末三十六門の一つ。発祥地の近江にも近江・総寧寺がある。末寺の江戸触頭として総泉寺を擁した。山号は安国山。(参考:同名寺院総寧寺_(同名))
歴史
1383年(弘和3年/永徳3年)、六角氏頼を開基として近江国坂田郡寺倉(滋賀県米原市寺倉)に創建。1530年(享禄3年)、兵火で焼失。8世住職の越翁宗超は遠江国掛川に逃れ、乗安寺を建てた。しかし永禄年間、乗安寺も兵火に逢い、10世州翁寿欣は常陸笠間の玄勝院に隠退。11世義翁盛訓は北条氏政の庇護を受け、1575年(天正3年)、乗安寺を下総国関宿に移転。1626年(寛永3年)内町に移り、1663年(寛文3年)、国府台の現在地に移転した。のち総寧寺に復称した。1612年(慶長17年)に大僧録となり、大中寺、龍穏寺と共に天下大僧録関三刹と呼ばれた。
近江の旧地にも近江・総寧寺が再興された。
組織
住職
- 『江戸時代洞門政要』「六刹住持年表」[1]
- 1通幻寂霊(1321-1391)<>:
- 2了庵慧明(1337-1411)<>:最乗寺開山。
- 3大綱明宗(1363-1437)<>:永沢寺住職。最乗寺大慈院開山。
- 4舂屋宗能(1382-1456)<>:最乗寺報恩院開山。
- 5在仲宗宥(生没年不詳)<>:相模天徳寺開山。
- 6桂堂原佐(?-1486)<>:最乗寺に晋山。
- 7天叟宗訓(生没年不詳)<>:
- 8越翁宗超(?-1540)<>:事実上の開山。今川家家臣の朝比奈泰能の帰依を得て総寧寺の前身となる乗安寺を掛川に創建。広沢寺を創建。越翁周超。
- 9学仲原周(?-1557)<>:学仲覚周。常陸玄勝院を創建。
- 10州翁寿欣(生没年不詳)<>:1568年(永禄11年)に徳川家康が掛川城にいる今川家を攻めた兵火で焼失。常陸玄勝院に逃れる。1575年(天正3年)、北条氏政の支援で総寧寺(乗安寺)を遠江国掛川から下総国関宿に移転し再建。1586年(天正14年)5月6日死去。
- 11義翁盛訓(?-1586)<>:
- 12養室寿孝(?-1596)<>:
- 13巨海良達(?-1599)<>:都築秀綱(今川家旧臣。本多忠勝家臣)の弟。
- 14万極良寿(?-1607)<>:
- 15鉄山林設()<>:
- 16一峰専道()<>:
- 17骨山如徹()<>:骨山恕徹。
- 18勝国良尊(?-1641)<>:1641年(寛永18年)死去。
- 19大淵文刹(?-1636)<>:
- 20鉄尊長〓()<>:〓は「族」の下に「鳥」
- 21嶺巌英峻(?-1674)<?-1652>:永平寺27世。最乗寺187世。関三刹(総持寺系)から永平寺に昇住する先例となる。高国英峻。
- 松頓()<1652->:可睡斎から転任。嶺巌英峻が伽藍法を相続することなく去ったため「伝法公事」事件と呼ばれる訴訟となるが、敗訴。除歴。
- 22智堂光紹(?-1670)<>:永平寺30世。光紹智堂。
- 23一間祖峰()<>:除歴とも。
- 24丹心龍〓(?-1708)<>:23世とも。了〓とも。〓は「土犀」。
- 25山陰徹翁(?-1700)<>:24世とも。永平寺33世。
- 26融峰本祝(?-1700)<>:永平寺36世。
- 27緑巌厳柳(?-1716)<>:永平寺38世。緑岩。
- 28峻巌暾高()<>:
- 29愚溪()<>:
- 30大応()<>:
- 31大虚喝玄(1661-1736)<>:永平寺40世。
- 32
- 33
- 34
- 35
- 36常山岱運()<>:?
- 37成山台明(?-1793)<>:永平寺48世。常山台明とも。
- 智柏(?-1799)<>:38世か?
- 38
- 39
- 40独雄宣峰(1746-1835)<>:永平寺52世。宣方。
- 41
- 42
- 43載庵禹隣(1768-1845)<>:永平寺57世。
- 44
- 45
- 46観禅眺宗(?-1848)<>:永平寺59世。
- 服部元良(?-1899)<>:温岳元良。千葉県感化院を設立。1899年(明治32年)6月2日死去。
- 照井文隆()<>:
総寧寺記 安国山雑誌