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江戸・鳳閣寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2024年4月18日 (木) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
鳳閣寺(ほうかくじ)は、江戸青山にあった当山修験の諸国総袈裟頭・江戸触頭を務めた真言宗寺院。本尊は不動明王(江戸名所図会)。元は戒定院(戒定慧院)と言ったが、大和・鳳閣寺を兼務してから鳳閣寺を称するようになった。 廃絶。
観応年間、伊豆にあった。向因山実相寺吉蔵院と称した。のち1699年(元禄12年)、俊尊が吉野鳳閣寺の兼務を命じられ、寺号を改めた(『東洋文庫東都歳時記』註)。浜松の二諦坊と康松院も兼務した。 湯島天満宮の下にあったが湯島聖堂の南に移転(武江年表)。1675年(延宝3年)のことか(同註)。 1786年(天明6年)1月22日、湯島神田一帯の火災で焼失(武江年表)。 1798年(寛政10年)湯島から青山梅窓院の東隣に移転(日本歴史地名大系)(武江年表では寛政11年とある)。