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本願寺西山別院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
本願寺西山別院(ほんがんじ・にしやま・べついん)は京都府京都市西京区にある覚如ゆかりの浄土真宗寺院。西本願寺の別院。御坊。寺号は久遠寺。西山御坊。桂御坊。覚如墓(覚祖廟)がある。(参考:同名寺院久遠寺_(同名))
歴史
最澄の創建という。1314年(正和3年)、覚恵の遺志を継いだ覚如が創建したとも。 亀山上皇から1272年、「久遠実成阿弥陀本願寺」の号を下賜されたという。亀山上皇の御所を賜ったともいう。 1321年、後醍醐天皇の勅を得て真宗道場と定められた。
1336年(延元1年/建武3年)、戦乱で東山大谷の親鸞廟(本願寺)が焼けた時、覚如は久遠寺に住んだ。そして1351年の死後、久遠寺に葬られた。妻の善照尼も合葬された。 光厳天皇の御願所となった。 応仁の乱以降は衰微して天文年間には天台宗寺院になっていたが、戦国時代に寺内町があった。 川島の門徒が寺と土地を法林寺に寄進。以後、同寺が兼務する道場となったが、1670年(寛文10年)8月、本山西本願寺に献納され、御坊となった。本山により整備が進められ、本堂を建立。大谷本廟の旧本尊阿弥陀如来(1661年作)を遷座して1673年(延宝1年)12月に落慶した。
1756年(宝暦6年)、本山旧阿弥陀堂を本堂として移築。1618年に造営されたもの。2000年に改修された。本堂の左余間には覚如の御影が奉掛されている。 久遠寺旧堂は黒谷・慈敬寺に移築された。 1811年、本山の錦華殿を移築。 1890年、改修。
大正時代、学林を設置。のちの中央仏教学院。 現在は得度習礼教師教修研修道場が設置されている。
江戸時代後期の対面所があったが1999年に解体し、研修道場の1階の部屋を対面所としている。 毎年4月23日の覚祖会に本願寺式務部侍真による御代香がある。
(日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト)