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京都・大通寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2021年8月15日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
大通寺(だいつうじ)は、京都府京都市南区西九条比永城町にある源氏ゆかりの真言宗寺院。本尊は宝冠釈迦如来。源実朝の菩提寺。源氏の代表的な菩提寺の一つ。六孫王神社別当。真言律宗の尼寺だった。関東祈祷所。元は真言宗東寺派で、一時期その仮宗務所が置かれた。遍照心院。山号は万祥山。(参考:同名寺院大通寺)
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歴史
将軍源実朝は1219年(承久1年)1月27日、甥の公暁に暗殺された。 源実朝正室の坊門信子(1193-1274、坊門信清の娘)はその後、鎌倉から京都に帰り、出家し、本覚尼(西八条禅尼、八条禅尼)と名乗った。 年代は不詳だが、本覚尼は実朝の菩提を弔うため、六孫王神社の北隣に大通寺を創建。開山として真空を招いた。尼僧のための律院となったらしい。 源氏ゆかりの寺として歴代の幕府に庇護された。室町時代には遍照心院奉行が設置されたほどだった。 1395年(応永2年)10月、塩小路朱雀の田地を巡って醍醐寺理性院と総論。 1398年(応永5年)7月24日炎上。 領地を巡って東寺教令院と対立し、1501年(文亀1年)12月になって大通寺側から取り下げた。
江戸時代の寺領は283石。三論宗、律宗、真言宗兼学とされた。1912年(大正1年)、東海道線建設のために現在地への移転を余儀なくされた。 十六夜日記の作者の阿仏尼(?-1283)の墓の阿仏塚がある。
末寺として星田寺があった。
組織
住職
- 1真空(1204-1268)<>:高野山金剛三昧院長老5世。木幡観音院に住す。鎌倉無量寿院長老。木幡義の始祖。廻心房。木幡上人。
- 2禅慧(生没年不詳)<-1283->:大安寺中興1世。叡尊・覚盛らと共に自誓受戒した不空院円晴の弟子という。本浄房。
- 憲静(?-1293)<>:泉涌寺長老6世。遍照心院で死去。
- 俊才(1259-1353)<>:東大寺戒壇院長老5世。東大寺大勧進25世。武蔵・称名寺長老。
- 照玄(1301-1358)<>:東大寺大勧進職。鎌倉極楽寺長老。
- 恵雲()<-1413>:
- 舜海()<-1434->:
- 高澄()<-1501->:
- 義洞()<>:
- 照什(1663-1736)<1681->:石見国出身。佐々木忠綱の子。1663年(寛文3年)生。義洞に師事。諸国巡歴の後、大通寺住職となる。六孫王神社再建を果たし、東山天皇から紫衣を賜る。1736年(元文1年)10月13日死去。74歳。南谷と号す。
子院
- 東林院
- 実法院:十方院
- 清涼院
- 成就院
- 大雲院
- 真住院
- 慈眼院:空谷(1766-1834)が住した。
- 多聞院
- 恩徳院
- 本覚寺:京都市下京区本塩竈町。浄土宗。