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紫宸殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2022年5月23日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
紫宸殿(ししんでん、ししいでん)は平安宮内裏または京都御所の正殿。後方には仁寿殿が接続した。大極殿廃滅後は高御座が置かれている。
本来、平安宮の公的な正殿は大極殿であり、紫宸殿は天皇の私邸の正殿に過ぎなかったが、大極殿の廃滅でその役割を引き継いだ。
目次 |
造営・焼失
平安宮紫宸殿
- 960年(天徳4年):焼失
- 976年(貞元1年):焼失
- 980年(天元3年):焼失
- 982年(天元5年):焼失
- 999年(長保1年):焼失
- 1001年(長保3年):焼失
- 1005年(寛弘2年):焼失
- 1014年(長和3年):焼失
- 1015年(長和4年):焼失
- 1039年(長暦3年):焼失
- 1042年(長久3年):焼失
- 1048年(永承3年):焼失
- 1058年(康平1年):焼失
- 1082年(永保2年):焼失
- 1157年(保元2年):修造。この時の紫宸殿が『年中行事絵巻』『年中行事絵巻』に描かれている。
- 1219年(承久1年):焼失
- 1227年(安貞1年):再建途中に焼失。平安宮紫宸殿は廃絶。
中世
これ以後は里内裏内に殿舎を適宜紫宸殿とみなしている。
近世
- 1589年(天正17年):
- 慶長:
- 宝永:
- 1790年(寛政2年):平安時代の規模に復元造営。
- 1855年(安政2年):寛政度を踏襲。現在の京都御所紫宸殿。
儀礼
行事
- 即位礼:大極殿廃絶後は紫宸殿で行われた。
神事
- 大嘗祭:大極殿廃絶後は紫宸殿で行われた。
- 軒廊御卜:宜陽殿とつながる廊下で行う。
仏事
- 後七日御修法:1353年(正平8年/文和2年)の真言院廃滅の後は、明治初年まで紫宸殿が会場となった。
- 季御読経:2月と8月に行われた。100人の僧侶を集めて『大般若経』転読を行った。708年(和銅1年)、もしくは729年(天平1年)に年に一度の行事として始まった。862年(貞観4年)には2月・4月・8月・10月の年四度となった。877年(元慶1年)3月、年2度となった。元は3日間だったが天慶年間以降は4日間となった。大極殿や清涼殿でも行われた。
- 五仏頂法:円澄(772-837)が805年(延暦24年)に始めた。
- 御斎会:原則として大極殿で行うが、紫宸殿で行ったこともある。
- 仁王会:宮中内外の各所に置かれた道場の一つとなった。
- 大元法:江戸時代、天皇即位の年のみ紫宸殿で大元法を行った。例年は醍醐寺理性院で行った。
旧堂の下賜
- 長岡宮の紫宸殿が移築されて創建時の清水寺本堂になったという伝承がある。
- 天正年間造営の紫宸殿が1612年(慶長17年)頃、泉涌寺海会堂として移築された。
- 慶長年間造営の紫宸殿が1637年(寛永14年)頃、仁和寺金堂に移築された。
その他
- 浄土真宗本堂には「紫宸殿造」という様式があったらしい。