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朝鮮仏教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2023年8月13日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
- 『三国遺事』:高句麗、百済、新羅の189寺を記載。
- 朝鮮仏教の人物旧跡
目次 |
三大寺刹
鎌田茂雄によると、「韓国の三大寺刹というと、通度寺、海印寺、松広寺の三寺である」(『仏教の来た道』)
三国時代の寺院
- 盤龍寺:650年6月、普徳は高句麗が道教を重んじ仏教を軽んじるので、完山の孤大山に移住した(三国史記)。盤龍山延福寺か。
- 育王塔:中国遼寧省遼陽市。遼東城近く。三国遺事。
- 白鹿園寺:日本書紀。
- 霊塔寺:三国遺事
- 定陵寺:平壌。東明王陵の陵寺。寺名は出土銘文による。
- 清岩里廃寺:平壌直轄市大城区域清岩里。高句麗時代の寺院。金剛寺。
- 上五里廃寺:平壌
- 肖門寺:375年、高句麗の小獣林王が創建。高句麗最古の寺院。跡地不明。
- 伊弗蘭寺:375年、高句麗の小獣林王が創建。高句麗最古の寺院。跡地不明。
- 平壌金剛寺:498年、高句麗の文咨明王が創建。上五里廃寺。
- 忠南・大通寺:公州市班竹洞。百済初の本格的な寺院。元号寺。
- 西穴寺:公州市熊津洞。三国遺事、三国史記には記載がないが「西穴寺」の文字瓦が多数出土
- 水原寺:公州市王瀧洞。『三国遺事』に記載。
- 南穴寺:公州市金鶴洞
- 舟尾寺:公州市利仁面舟尾里
- 扶余・定林寺:扶余
- 王興寺:扶余
- 陵山里廃寺:扶余
- 扶余・金剛寺:扶余
- 佳塔里廃寺:扶余
- 旧校里廃寺:扶余
- 旧衙里廃寺:扶余
- 東南里廃寺:扶余
- 烏含寺:扶余
- 皐蘭寺:扶余
- 臨江寺:扶余
- 西腹寺:扶余。扶蘇山廃寺。
- 軍守里廃寺:扶余
- 錦城山廃寺:扶余
- 龍井里廃寺:扶余
- 道譲寺:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。
- 扶余・天王寺:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で塔が焼失とある。
- 白石寺:『三国史記』「百済本紀」に660年5月に落雷で講堂が焼失とある。
- 益山・弥勒寺:益山
- 益山・帝釈寺:益山
- 師子寺:益山
歴史
三国時代
4世紀後半、高句麗、百済に仏教が伝わる。新羅にはやや遅れて5世紀中頃に伝わる。
統一新羅時代
慈蔵(608-677)、義湘(625-702)、元暁(617-686)らが活躍。
高麗時代
義天の活躍。高麗版大蔵経を編纂
李氏朝鮮時代
儒教が重視され、仏教は弾圧された。
近現代
日本の植民地時代には日本仏教の影響を受ける。独立後は日本から影響された妻帯の是非が大きな問題となる。曹渓宗が成立。
年表
- 372年:高句麗に仏教が初めて伝わる。前秦の順道が仏像を経典を伝える。(『三国史記』)
- 384年:百済に仏教が初めて伝わる。東晋の摩羅難陀が来訪。(『三国史記』)
- 5世紀中頃:新羅に仏教が初めて伝わる。高句麗の阿道(墨胡子)が来訪。(『三国史記』)
- 528年:新羅、仏教を公認。(『三国史記』)
- 円光(532-630)、鎮護国家の法を新羅に導入。花郎徒を育成
- 660年:百済滅亡
- 668年:高句麗滅亡。新羅が半島を統一。この頃、慈蔵(608-677)、義湘(625-702)、元暁(617-686)らが活躍。
- 918年:高麗、建国。太祖、王都開京に護国道場10寺を創建
- 935年:新羅が高麗に従属。
- 1086年:義天(1055-1101)が宋から帰国。天台宗を伝えた。
- 1087年:高麗版大蔵経完成。5048巻。
- 1145年:『三国史記』編纂
- 知訥(1158-1210)が禅宗をまとめる。朝鮮禅宗の中興。
- 1232年:蒙古の侵攻で、符仁寺に収められていた高麗版大蔵経焼失。
- 1237年:高麗版大蔵経の再刻を決定。
- 1251年5月:高麗版大蔵経、完成
- 1346年:太古智愚(1301-1382)、元に留学。湖州霞霧山の石屋清〓の法を嗣ぐ。
- 1356年:太古智愚、禅宗九山を統率する府事となる
- 1392年:李氏朝鮮、建国
- 太宗、仏教を統合し、12宗派から7宗派に合併。242寺とする
- 世宗、2宗派に統合。各18寺とする
- 1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵。清虚休静が僧兵を率いて参戦。
- 1659年:出家を禁止。僧侶を還俗
- 1877年:日本の真宗大谷派が朝鮮に進出。各派が続く
- 1897年(光武元年)8月:元号を「光武」とする
- 1897年(光武元年)10月:韓国皇帝即位。
- 1902年(光武6年):大韓帝国、寺刹管理署を設置。国内首寺(総本山)として元興寺を創建。各道に道内首寺16寺を設定した。
- 1904年(光武8年):大韓帝国、寺刹管理署を廃止。
- 1908年(隆煕2年):朝鮮仏教の統一機関として円宗宗務院を設置。日本の曹洞宗の武田範之が顧問となる。
- 1910年(明治43年)8月:韓国併合。朝鮮総督府設置。
- 1910年(明治43年):円宗宗務院の李晦光宗正が密かに日本曹洞宗と連合条約を締結。朝鮮仏教界で反発を呼ぶ。
- 1911年(明治44年)春:日本曹洞宗との提携を拒否した有志が臨済宗臨時宗務院を松広寺に設置。
- 1911年(明治44年)6月:朝鮮総督府、[[寺刹令]{を制定。30本山を定める。当時、朝鮮半島に約900寺があったという。
- 1911年(明治44年)秋:臨済宗臨時宗務院、梵魚寺に移転。
- 1945年(昭和20年):日本敗戦
- 1954年:教団浄化対策委員会設置。
- 1962年4月:統一教団の曹渓宗を設立。
概要
参考文献
- 泊勝美 1980年(昭和55年)『韓国古寺発掘』ロッコウブックス