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不退寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月14日 (土)

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'''不退寺'''(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[聖観音]]。[[在原業平]]、[[平城天皇]]ゆかり。[[官寺]]二十五大寺の一つ。[[真言律宗西大寺派]]。'''不退転法輪寺'''。通称は'''業平寺'''。山号は金龍山。
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'''不退寺'''(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、[[南都仏教]]・[[真言宗]]の寺院。本尊は[[聖観音]]。[[平城天皇]]、[[阿保親王]]、[[在原業平]]の三代ゆかりの寺。[[官寺]]二十五大寺の一つ。[[伊勢信仰]]との関係も特徴的といえる。[[真言律宗西大寺派]]。'''不退転法輪寺'''。通称は'''業平寺'''。山号は金龍山。
[[関東祈祷所]]。
[[関東祈祷所]]。
==歴史==
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寺伝によると、809年、[[平城天皇]]の譲位後に移り住んだ'''萱の御所'''が前身。皇子の阿保親王、皇孫の在原業平と伝えられ、847年、業平が寺とした。
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*809年(大同4年):寺伝によると、[[平城天皇]]の譲位後に移り住んだ[[離宮]]'''萱の御所'''が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。業平は[[伊勢神宮]]に参詣。その時、[[天照大神]]の神勅を得て神鏡を授かった。
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確実な初出は三代実録に860年10月15日に[[超昇寺]]と共に施入された記事。
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*847年(承和14年):在原業平は神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、[[仁明天皇]]の勅願所となった。
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1298年、[[忍性]]の請願で関東祈祷所となる。
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*860年(貞観2年)10月15日:三代実録に[[超昇寺]]と共に施入された記事。史料上の確実な初出。
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1317年、現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。
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*1298年(永仁6年):[[忍性]]の請願で関東祈祷所となる。この時までには[[西大寺]]末となっている。
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1464年、焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。
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*1317年(文保1年):現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。
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1472年、関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。
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*1464年(寛正5年):焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。
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*1472年(文明4年):関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。
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*1602年(慶長7年):寺領50石を寄進された。
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(『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)
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==伽藍==
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*本堂:業平自作と伝える本尊の観音の他、[[五大明王]]を祀る。東脇には[[大神宮]]、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、[[平城天皇]]位牌、[[大正天皇]]位牌、[[貞明皇后]]位牌などを祀る。
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*多宝塔:[[地蔵菩薩]]を祀る。上層部が失われている。
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*石棺:付近の古墳から出土した石棺が移されている。
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*在原業平供養塔:裏山の墓地には在原業平供養塔がある。
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*鷹司房平墓:現存せず。
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本堂には業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。
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東脇には[[大神宮]]、西脇には阿保親王像、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。
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石棺がある。
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ファイル:3BCA418B-9C94-4448-99A2-C76EFA33FB69.jpeg|(国土地理院空中写真より)
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file:不退寺_(5).jpg|不退寺・山門
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裏山の墓地には在原業平供養塔がある。
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file:不退寺_(6).jpg|不退寺・寺標
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(『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)
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file:不退寺_(4).jpg|不退寺・多宝塔下重
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file:不退寺_(7).jpg|不退寺・石棺
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file:不退寺_(1).JPG|裏山墓地の在原業平墓
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[[category:奈良県]]
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2023年10月14日 (土) 時点における最新版

不退寺・本堂

不退寺(ふたいじ)は、奈良県奈良市法蓮町にある、南都仏教真言宗の寺院。本尊は聖観音平城天皇阿保親王在原業平の三代ゆかりの寺。官寺二十五大寺の一つ。伊勢信仰との関係も特徴的といえる。真言律宗西大寺派不退転法輪寺。通称は業平寺。山号は金龍山。 関東祈祷所

歴史

  • 809年(大同4年):寺伝によると、平城天皇の譲位後に移り住んだ離宮萱の御所が前身。御所は皇子の阿保親王、その王子の在原業平と伝えられた。業平は伊勢神宮に参詣。その時、天照大神の神勅を得て神鏡を授かった。
  • 847年(承和14年):在原業平は神鏡を奉じて御所を寺とし、観音像を彫って祀った。父の菩提寺とし、仁明天皇の勅願所となった。
  • 860年(貞観2年)10月15日:三代実録に超昇寺と共に施入された記事。史料上の確実な初出。
  • 1298年(永仁6年):忍性の請願で関東祈祷所となる。この時までには西大寺末となっている。
  • 1317年(文保1年):現在の南門を造営。多宝塔も同じ頃に建立。
  • 1464年(寛正5年):焼失。この後に再建されたのが現在の本堂。
  • 1472年(文明4年):関白鷹司房平が葬られたが、墓は現存せず。
  • 1602年(慶長7年):寺領50石を寄進された。

(『日本歴史地名大系』、『国史大辞典』)

伽藍

  • 本堂:業平自作と伝える本尊の観音の他、五大明王を祀る。東脇には大神宮、西脇には阿保親王像、伊都内親王位牌、平城天皇位牌、大正天皇位牌、貞明皇后位牌などを祀る。
  • 多宝塔:地蔵菩薩を祀る。上層部が失われている。
  • 石棺:付近の古墳から出土した石棺が移されている。
  • 在原業平供養塔:裏山の墓地には在原業平供養塔がある。
  • 鷹司房平墓:現存せず。

画像

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