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九条家
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年12月29日 (木)
歴代
- 1九条兼実(1149-1207):藤原忠通の三男。内大臣、右大臣を経て源頼朝の信頼を得て1185年内覧。1186年摂政・氏長者。実権を握るが、1191年関白。1196年失脚。1202年出家。法然に帰依。娘に後鳥羽天皇中宮。後法性寺殿。法名は円証。墓所は法性寺。
- 2九条良経(1169-1206):左大臣を経て1202年摂政・氏長者。1204年太政大臣。従一位。1205年太政大臣と氏長者を辞任。1206年急死。墓所は小松谷にあったが東福寺に改葬。娘に東一条院(順徳天皇中宮)。後京極殿。
- 3九条道家(1193-1252):源頼朝の親族。東福寺と光明峰寺を創建。法名は行慧。
- 4九条教実(1210-1235):弟に二条良実(二条家の祖)、一条実経(一条家の祖)、九条頼経(鎌倉将軍)、藻壁門院(後堀河天皇中宮)がいる。墓所は最勝金剛院。洞院殿。
- 九条忠家(1229-1275):一音院殿。
- 九条忠教(1248-1332):浄土寺殿、報恩院殿。
- 九条師教(1273-1320):己心院殿、浄土寺殿。
- 九条房実(1290-1327):報恩院、後一音院。
- 九条道教(1315-1349):法名は円恵。三縁院。
- 九条経教(1331-1400):後報恩院。
- 九条忠基(1345-1397):後己心院。
- 九条満教(1394-1449):初名は九条満教、九条満輔。後三縁院。
- 九条政基(1445-1516):慈眼院。墓所は普門寺。和泉・慈眼院と関係か。
- 九条尚経(1468-1530):後慈眼院。
- 九条稙通(1507-1594):法名は行空、恵空。東光院殿。
- 九条兼孝(1553-1636):後月輪。
- 九条幸家(1586-1665):九条忠栄。
- 九条道房(1609-1647):後浄土寺。
- 九条兼晴(1641-1677):後往生院。
- 九条輔実(1669-1729):後洞院。
- 九条師孝(1688-1713):如法光院。
- 九条幸教(1700-1728):無量信院。
- 九条稙基(1725-1743):後東光院。
- 九条尚実(1717-1787):元は出家して尭厳と称し随心院門跡に入寺していた。還俗して継承。
- 九条道前(1746-1770):早世。
- 九条輔家(1769-1785):瑠璃光院。
- 九条輔嗣(1784-1807):
- 九条尚忠(1798-1871):
- 九条幸経(1823-1859):平等信院。姉に英照皇太后。
- 九条道孝(1839-1906):公爵
- 九条道実(1870-1933):公爵。掌典職掌典長。妹に貞明皇后貞子。
- 九条道秀(1895-1961):公爵。掌典職掌典。
- 九条道弘(1933-2017):平安神宮宮司。藤裔会会長。
- 九条道成():明治神宮権宮司。