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南都・西照寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年6月4日 (土)
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+ | 1556年、今川義元の子の英誉良阿が[[興福寺]][[一乗院門跡]]より西照寺の名を授かり、浄土宗に改め現在地に復興した。 | ||
+ | 境内には東照宮があった。奈良奉行が赴任すると参拝に訪れたという。そこに祀られていた[[徳川家康]]の位牌が現存。境内には徳川家康塔(元治年間)と百万供養塔がある。百万という人物は十万([[唐招提寺]][[導御]](1223-1311)のことか)の母で[[春日大社]]の巫女だったという。十万との生き別れのエピソードが知られる。 | ||
+ | 1954年、現在の本堂を再建した。本尊は、腹帯阿弥陀如来と呼ばれ、[[源義仲]]の母の栄松院が安産守護を願って造立したものという。 | ||
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2022年6月4日 (土) 時点における最新版
西照寺は奈良県奈良市今辻子町にある浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。単立。家康院。山号は紫雲山。(参考:同名寺院西照寺)
西大寺叡尊が下三条(今辻子町の南隣の町名)に開いた禅松庵が起源と伝わる。 1556年、今川義元の子の英誉良阿が興福寺一乗院門跡より西照寺の名を授かり、浄土宗に改め現在地に復興した。 境内には東照宮があった。奈良奉行が赴任すると参拝に訪れたという。そこに祀られていた徳川家康の位牌が現存。境内には徳川家康塔(元治年間)と百万供養塔がある。百万という人物は十万(唐招提寺導御(1223-1311)のことか)の母で春日大社の巫女だったという。十万との生き別れのエピソードが知られる。 1954年、現在の本堂を再建した。本尊は、腹帯阿弥陀如来と呼ばれ、源義仲の母の栄松院が安産守護を願って造立したものという。