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大護院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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もともと[[高野山]]行人方の僧が詰める文殊院があった。1692年の行人方騒動で廃絶。 | もともと[[高野山]]行人方の僧が詰める文殊院があった。1692年の行人方騒動で廃絶。 | ||
1693年、学侶方の大護院となった。[[石清水八幡宮]]宝蔵坊社僧の孝治が開山となった。 | 1693年、学侶方の大護院となった。[[石清水八幡宮]]宝蔵坊社僧の孝治が開山となった。 | ||
- | + | 同時に蔵前神社(御蔵前八幡宮、文殊院八幡宮などと呼ばれた)の社殿を造営。 | |
+ | 1732年に焼失し、蔵前神社と共に浅草三崎町に移ったが、1744年に旧地に戻った。 | ||
+ | 1872年廃絶。(『日本歴史地名大系』) | ||
== 組織 == | == 組織 == | ||
===歴代住職=== | ===歴代住職=== |
2019年10月26日 (土) 時点における版
大護院は東京都台東区蔵前にあった真言宗寺院。真言宗新義派の江戸触頭。仁和寺門跡の院家の格式を持った。蔵前神社別当。廃絶。神光寺と称す。山号は雄徳山。
歴史
もともと高野山行人方の僧が詰める文殊院があった。1692年の行人方騒動で廃絶。 1693年、学侶方の大護院となった。石清水八幡宮宝蔵坊社僧の孝治が開山となった。 同時に蔵前神社(御蔵前八幡宮、文殊院八幡宮などと呼ばれた)の社殿を造営。 1732年に焼失し、蔵前神社と共に浅草三崎町に移ったが、1744年に旧地に戻った。 1872年廃絶。(『日本歴史地名大系』)
組織
歴代住職
- 孝治
- 隆光()<>:?
- 尊祐(1645-1717)<>:長谷寺16世。
- 隆慶(1649-1719)<>:長谷寺17世。
- 信有(1662-1723)<>:長谷寺19世。