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大護院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年4月19日 (金)
大護院(だいごいん)は東京都台東区蔵前にあった真言宗寺院。本尊は不動明王か。真言宗新義派か。仁和寺門跡の江戸触頭か。仁和寺門跡の院家の格式を持った。蔵前神社別当。廃絶。神光寺と称す。山号は雄徳山。
歴史
- もともと高野山行人方の僧が詰める江戸・文殊院があった。1692年(元禄5年)の行人方騒動で廃絶。
- 1693年(元禄6年):学侶方の大護院となった。石清水八幡宮宝蔵坊社僧の孝治(幸沼?)が開山となった。同時に将軍徳川綱吉の命で蔵前神社(御蔵前八幡宮、文殊院八幡宮、石清水正八幡宮などと呼ばれた)の社殿を造営(創建?)。
- 1732年(享保17年):焼失し、蔵前神社と共に浅草三島町に移転。
- 1744年(延享1年):旧地に戻った。境内では勧進相撲や出開帳がたびたび開かれた。
- 1841年(天保12年):成田不動の出張所が日本橋坂本町(東京都中央区新富)から大護院内に移転。
- 1872年(明治5年):廃絶。
- 1879年(明治12年):成田不動出張所、大権院跡から深川の永代寺吉祥院に移転(深川不動)。
(『日本歴史地名大系』ほか)
組織
歴代住職
- 1孝治()<1693->:幸沼?。京都石清水八幡宮の社僧。
- 尊祐(1645-1717)<1702->:長谷寺16世。
- 教山()<1703->:宝仙寺住職。1703/12/14大護院住職。
- 隆慶(1649-1719)<1707-1708>:長谷寺17世。護持院14世。護国寺6世。1707年4月に大護院。1708年3月、長谷寺化主。
- 澄意()<1708?-?>:根生院3世。
- 信有(1662-1723)<1714->:長谷寺19世。
- 恵山(?-1772)<1764-1766>:護持院24世。護国寺17世。中島金剛院を経て1764年(明和1年)9月6日、大護院住職。1766年(明和3年)3月29日、護持院住職。(略歴は護国寺#組織を参照)
- 道恵()<>:
- 道敬()<-1949->:
- 道識()<>:
- 20道本(1768-1857):蓮華峰寺住職?書家として活躍。1857年8月28日死去。90歳。神奈川金蔵院に埋葬。(武江年表)
- 実盈(?-1867)<1858-1867>:護持院48世。護国寺41世。1858年(安政5年)1月16日、大護院住職。1867年(慶応3年)2月28日、護持院住職。