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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

大護院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年10月26日 (土)

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大護院(だいごいん)は東京都台東区蔵前にあった真言宗寺院。本尊は不動明王か。真言宗新義派か。仁和寺門跡江戸触頭か。仁和寺の院家の格式を持った。蔵前神社別当。廃絶。神光寺と称す。山号は雄徳山。

歴史

もともと高野山行人方の僧が詰める文殊院があった。1692年の行人方騒動で廃絶。 1693年、学侶方の大護院となった。石清水八幡宮宝蔵坊社僧の孝治(幸沼?)が開山となった。 同時に将軍徳川綱吉の命で蔵前神社(御蔵前八幡宮、文殊院八幡宮、石清水正八幡宮などと呼ばれた)の社殿を造営(創建?)。 1732年に焼失し、蔵前神社と共に浅草三島町に移ったが、1744年に旧地に戻った。 境内では勧進相撲や出開帳がたびたび開かれた。 1872年廃絶。

1841年、成田不動の出張所が日本橋坂本町(東京都中央区新富)から大護院内に移転。1879年、深川の永代寺吉祥院に移転(深川不動)。

(『日本歴史地名大系』ほか)

組織

歴代住職

  • 1孝治()<1693->:幸沼?。京都石清水八幡宮の社僧。
  • 尊祐(1645-1717)<1702->:長谷寺16世。
  • 教山()<1703->:宝仙寺住職。1703/12/14大護院住職。
  • 隆慶(1649-1719)<1707-1708>:長谷寺17世。1707年4月に大護院。1708年3月、長谷寺化主。
  • 澄意()<1708?-?>:根生院3世。
  • 信有(1662-1723)<1714->:長谷寺19世。
  • 道恵()<>:
  • 道敬()<-1949->:
  • 道識()<>:
  • 20道本(1768-1857):蓮華峰寺住職?書家として活躍。1857年8月28日死去。90歳。神奈川金蔵院に埋葬。(武江年表)
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A4%A7%E8%AD%B7%E9%99%A2」より作成

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