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存覚旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年10月27日 (金) 時点における版
存覚(1290-1373)は、浄土真宗の僧侶。本願寺3世覚如の長男。本来、本願寺4世を継ぐべき立場にあったが父との不和でかなわなかった。父から二度義絶された一方、地方の僧俗を指導し、地方教団の成立に多大な影響を与えた。門下には仏光寺(興正寺)了源、錦織寺慈空、大町専修寺如導、誠照寺如覚などがいた。証誠寺を開いた道性とも親しかった。錦織寺4世に数えられている。常楽台と号す。墓所不明。