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宝国寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[日朗]]門下の日善が創建。 | [[日朗]]門下の日善が創建。 | ||
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- | + | [[本圀寺]]の創建後はその隣接地となり、妙顕寺よりも本圀寺との関係が深くなったようだ。 | |
1536年の天文法難の後には本圀寺に併合されたか。 | 1536年の天文法難の後には本圀寺に併合されたか。 | ||
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+ | *日善(1263-1332)<>:大法阿闍梨。[[平氏]]。北条義澄の孫。[[日朗]]に学び、若くして常陸大法寺を創建。のち[[碑文谷・法華寺]]2世となる。日朗の死を機に碑文谷の実成寺を建てた。1322年、京都妙顕寺に赴く。関西の[[日蓮]]の旧跡を巡るが、信者が宝国寺を建てたため止むを得ず滞在。のち碑文谷に帰り死去。(日本仏家人名辞書) | ||
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2019年12月28日 (土) 時点における版
宝国寺は京都下京にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。廃絶。跡地不詳。六条門流。
歴史
日朗門下の日善が創建。 妙顕寺の日像を助けて京都弘通に尽力していた。 本圀寺の創建後はその隣接地となり、妙顕寺よりも本圀寺との関係が深くなったようだ。 1536年の天文法難の後には本圀寺に併合されたか。