出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
宝国寺は京都下京にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。廃絶。跡地不詳。六条門流。
歴史
日朗門下の日善(1263-1332、身延4世、碑文谷2世)が創建。
妙顕寺の日像を助けて京都弘通に尽力していた。
本圀寺の創建後はその隣接地となり、妙顕寺よりも本圀寺との関係が深くなったようだ。
1536年(天文5年)の天文法難の後には本圀寺に併合されたか。本圀寺子院の持珠院が宝国寺の名を継いでいるようだ(政教中正論)。
組織
歴代
- 日善(1263-1332)<>:大法阿闍梨。身延4世。平氏。北条義澄の孫。日朗に学び、若くして常陸大法寺を創建。のち碑文谷・法華寺2世となる。日朗の死を機に碑文谷の実成寺を建てた。1322年、京都妙顕寺に赴く。関西の日蓮の旧跡を巡るが、信者が宝国寺を建てたため止むを得ず滞在。のち碑文谷に帰り死去。(日本仏家人名辞書)