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山城・随願寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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2017年9月10日 (日) 時点における版
随願寺(ずいがんじ)は、山城国の南端、大和国国境にあった南都仏教の寺院。廃絶。西小田原寺の異称があった浄瑠璃寺に対して東小田原寺とも呼ばれた。興福寺関連旧跡。(参考:同名寺院随願寺)
歴史
大和と南山城にまたがるこの地域は南都僧が山中に籠って修行した地帯で、浄瑠璃寺、岩船寺、随願寺、中川寺、鳴川寺が建てられ、平安時代から室町時代までの多くの石仏も残る。南都浄土教の行場として栄えた。随願寺は平安時代中期の創建。興福寺大乗院末だった。浄瑠璃寺に合併したともいうが不詳。「東小」と寺名を残す字が跡地と言われる。(日本歴史地名大系ほか)