ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
平松神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''平松神社'''は鹿児島県鹿児島市吉野町平松にある[[島津家]]ゆかりの[[霊社]]。祭神は戦国武将で日置島津家の祖の島津歳久(1537- | + | '''平松神社'''は鹿児島県鹿児島市吉野町平松にある[[島津家]]ゆかりの[[霊社]]。祭神は戦国武将で日置島津家の祖の島津歳久(1537-1592)。[[御霊信仰]]の要素もあるか。[[曹洞宗]][[心岳寺]]跡。 |
- | 1592年(文禄1年) | + | ==歴史== |
+ | 1592年(文禄1年)島津歳久は、家臣が関わった梅北国兼の乱の責任を[[豊臣秀吉]]から問われ、16代当主島津義久の家臣に追われ、平松の地で自害した。 | ||
その後、島津義久がこの地に菩提寺として心岳寺を創建。廃仏毀釈で心岳寺が廃絶し、平松神社が建てられた。 | その後、島津義久がこの地に菩提寺として心岳寺を創建。廃仏毀釈で心岳寺が廃絶し、平松神社が建てられた。 | ||
島津歳久墓があり、殉死者石塔が今も残る。 | 島津歳久墓があり、殉死者石塔が今も残る。 |
2020年3月12日 (木) 時点における版
平松神社は鹿児島県鹿児島市吉野町平松にある島津家ゆかりの霊社。祭神は戦国武将で日置島津家の祖の島津歳久(1537-1592)。御霊信仰の要素もあるか。曹洞宗心岳寺跡。
歴史
1592年(文禄1年)島津歳久は、家臣が関わった梅北国兼の乱の責任を豊臣秀吉から問われ、16代当主島津義久の家臣に追われ、平松の地で自害した。 その後、島津義久がこの地に菩提寺として心岳寺を創建。廃仏毀釈で心岳寺が廃絶し、平松神社が建てられた。 島津歳久墓があり、殉死者石塔が今も残る。