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延勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''延勝寺'''(えんしょうじ)は[[平安京]]郊外の[[白河殿]]に付属した[[近衛天皇]]の[[御願寺]]。[[天台宗]]。[[六勝寺]]の一つ。東には[[成勝寺]]、北には[[得長寿院]]と[[京都・尊勝寺]]があった。 | '''延勝寺'''(えんしょうじ)は[[平安京]]郊外の[[白河殿]]に付属した[[近衛天皇]]の[[御願寺]]。[[天台宗]]。[[六勝寺]]の一つ。東には[[成勝寺]]、北には[[得長寿院]]と[[京都・尊勝寺]]があった。 | ||
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近衛天皇が久安5年(1149)3月20日に創建。落慶法要には近衛天皇、鳥羽上皇、崇徳上皇が隣席した。金堂や塔の他に一字金輪堂が建てられた。近衛天皇の崩御後、長寛元年(1163)12月26日、近衛殿の寝殿が移築され、[[九体阿弥陀堂]]とした。承久元年(1219)11月27日、金堂や塔が焼失。嘉禄元年(1225)9月2日応群盗の放火で焼失。鎌倉時代、室町時代にも存続したが応仁の乱で廃絶したと伝える。昭和47年などの発掘調査で庭園遺構などが出土。琵琶湖疏水沿いに石碑が建つ。 | 近衛天皇が久安5年(1149)3月20日に創建。落慶法要には近衛天皇、鳥羽上皇、崇徳上皇が隣席した。金堂や塔の他に一字金輪堂が建てられた。近衛天皇の崩御後、長寛元年(1163)12月26日、近衛殿の寝殿が移築され、[[九体阿弥陀堂]]とした。承久元年(1219)11月27日、金堂や塔が焼失。嘉禄元年(1225)9月2日応群盗の放火で焼失。鎌倉時代、室町時代にも存続したが応仁の乱で廃絶したと伝える。昭和47年などの発掘調査で庭園遺構などが出土。琵琶湖疏水沿いに石碑が建つ。 | ||
- | + | (日本歴史地名大系、国史大辞典) | |
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2017年8月21日 (月) 時点における版
延勝寺(えんしょうじ)は平安京郊外の白河殿に付属した近衛天皇の御願寺。天台宗。六勝寺の一つ。東には成勝寺、北には得長寿院と京都・尊勝寺があった。
歴史
近衛天皇が久安5年(1149)3月20日に創建。落慶法要には近衛天皇、鳥羽上皇、崇徳上皇が隣席した。金堂や塔の他に一字金輪堂が建てられた。近衛天皇の崩御後、長寛元年(1163)12月26日、近衛殿の寝殿が移築され、九体阿弥陀堂とした。承久元年(1219)11月27日、金堂や塔が焼失。嘉禄元年(1225)9月2日応群盗の放火で焼失。鎌倉時代、室町時代にも存続したが応仁の乱で廃絶したと伝える。昭和47年などの発掘調査で庭園遺構などが出土。琵琶湖疏水沿いに石碑が建つ。 (日本歴史地名大系、国史大辞典)