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成勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | + | 崇徳天皇が保延5年(1139)10月26日に創建。同月、[[醍醐寺]]の定海が成勝寺別当となっている。金堂が完成した後にも五大堂、観音堂、総社、宝蔵などが建てられた。保元の乱で敗れた崇徳上皇が死後怨霊になったと考えられるようになると、上皇の追善法要が成勝寺で行われた。応仁の乱で廃絶となったと伝える。昭和51年に発掘調査がされ、西境の溝が確認された。京都市勧業館の前の二条通りに石碑がある。東京に寺名を継承すると主張する寺院があるが不詳。 | |
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2017年8月21日 (月) 時点における版
成勝寺(じょうしょうじ)は、平安京郊外の白河殿に付属した崇徳天皇の御願寺。天台宗。六勝寺の一つ。現在の京都市勧業館みやこめっせのあたりにあった。西には延勝寺、東には円勝寺、北には尊勝寺があった。
歴史
崇徳天皇が保延5年(1139)10月26日に創建。同月、醍醐寺の定海が成勝寺別当となっている。金堂が完成した後にも五大堂、観音堂、総社、宝蔵などが建てられた。保元の乱で敗れた崇徳上皇が死後怨霊になったと考えられるようになると、上皇の追善法要が成勝寺で行われた。応仁の乱で廃絶となったと伝える。昭和51年に発掘調査がされ、西境の溝が確認された。京都市勧業館の前の二条通りに石碑がある。東京に寺名を継承すると主張する寺院があるが不詳。 (日本歴史地名大系)