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新勝寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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新勝寺(しんしょうじ)は、千葉県成田市にある不動信仰真言宗寺院。成田不動信仰の発祥地。真言宗智山派大本山。本尊の不動明王は、神護寺護摩堂から遷されたもので、空海作という。平将門の乱の戦勝祈願のために遍照寺寛朝(916-998)が不動像を奉じて下総に下り、公津ケ原で祈祷。満願後も不動像を動かすことができなくなったことが起源とされる。永禄9年(1566)、久根の内に遷座。さらに愛宕山を経て現在地に遷ったという。元禄時代、照範が中興。佐倉藩主、そして桂昌院の帰依を得て大覚寺末となる。元禄16年には江戸で出開帳。初代以来、歴代の市川団十郎が信仰している。幕末明治期には各地に別院を設置。明治2年、智積院末に転属した。成田不動。山号は成田山新勝寺関連旧跡も参照。


組織

歴代住職

現在は貫首と称す。

  • 1照範()<1700->:中興1世。
  • 2快盛()<>:
  • 3照朝()<>:
  • 4照諦()<>:
  • 5照峰()<>:
  • 6照乗()<>:
  • 7照誉()<>:
  • 8照胤()<>:
  • 9照融()<>:
  • 10照阿()<>:
  • 11照嶽()<>:
  • 12照順()<>:
  • 13原口照輪(1815-)<1867->:
  • 14三池照鳳(1848-1896)<>:下総国成田出身。安政4年得度。明治6年密蔵院住職。明治16年新勝寺住職就任。成田鉄道の開設に協力。明治27年、新勝寺住職を退任して智山派独立運動に尽力。
  • 15石川照勤(1869-1924)<1894-1924>:下総国印旛郡出身。明治2年10月10日生。旧姓は中村。明治11年入寺。原口照輪に師事。真言宗中学林卒。明治27年新勝寺住職就任。2年間の欧米視察の後、成田中学、成田図書館、成田山感化院などを創設。大正13年1月31日死去。56歳。(日本人名大辞典)
  • 16服部照和()<加歴>:昭和6年(1931)2月、荒木照定貫首が加歴。
  • 17池田照誓(1878-1919)<加歴>:昭和6年(1931)2月、荒木照定貫首が加歴。
  • 18荒木照定(1892-1965)<1924-1965>:千葉県山武市小松出身。明治25年4月28日生。農家の次男。明治34年に入寺。服部照和に師事。東洋大学卒。一時、日比谷図書館に勤務。大正13年(1924)2月6日、貫首就任。欧米視察。インド巡拝。関西地方に進出して各地に別院を建立。成田山文化事業財団を設立。宗派の菩提院結衆、集議。昭和40年(1965)9月20日死去。73歳。(20世紀日本人名事典、「大僧正荒木照定伝」)
  • 19松田照応(1903-1986)<1965-1986>:千葉県成田市出身。明治36年(1903)3月25日生。明治45年入寺。真言宗智山大本科卒業。横浜別院主監、大阪別院主監を経て昭和40年(1965)貫首就任。昭和61年(1986)10月7日死去。(20世紀日本人名事典)
  • 20鶴見照碩(1917-2002)<1986->:2002年8月14日死去。
  • 21橋本照稔()<2002->:寺務長などを経て貫首に就任。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%96%B0%E5%8B%9D%E5%AF%BA」より作成

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