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新羅王室
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年9月4日 (月)
新羅(356-935)の王室。首都は慶州(金城)だった。高句麗・百済と共に三国時代を経て統一新羅時代を築いた。
目次 |
神祇祭祀
- 社稷
- 南郊壇
- 五岳:
- 東岳:吐含山:慶尚北道慶州市。脱解王の遺骨を納めた脱解祠があった。標高745m。
- 南岳:智異山:山頂に智異聖母を祀る天王堂がある。小白山脈の主峰。標高1915m。韓国半島部の最高峰。金剛山、漢拏山とともに三神山の一つ。法華寺、華厳寺、双渓寺、実相寺、泉隠寺、神興寺などの名刹が多い。三国史記には「地理山」とある。
- 西岳:鶏龍山:忠清南道中央部にある。標高828m。東鶴寺や甲寺がある。山頂近くの新都内という集落には李朝時代から民間信仰の集団が集まる。
- 北岳:太白山:標高1546m。太白山脈の南端にある。五台山、雪岳山、金剛山が連なる。三国史記には「太伯山」とある。
- 中岳:八公山:頂上に高さ8mの冠峰石造如来坐像があり、笠岩(カッバウィ)と呼ばれている。麓に桐華寺、把渓寺、符仁寺などがある。三国史記には「父岳」とある。
祖先祭祀
- 崇徳殿:慶尚北道慶州市塔洞。初代赫居世王。朴氏の祖。赫居世王陵に付属。李朝が祭祀。1429年に創建。1723年「崇徳殿」の額を掲げた。
- 崇信殿:慶尚北道慶州市東川洞。4代脱解王。昔氏の祖。当初は月城内にあった。脱解王陵に付属。李朝が祭祀。1898年、創建。1906年、「崇信殿」と称した。1980年に移転。
- 崇恵殿:慶尚北道慶州市皇南洞。13代味鄒王(金氏の祖)、30代文武王(半島統一)、56代敬順王(最後の王。当初祭神)。創建不詳。元は月城にあった。李朝が祭祀。味鄒王陵の南側にある。1888年増築し皇帝が「崇恵殿」額を下賜
- 統一殿:文武大王・武烈大王・興武大王を祀る。韓国政府が創建。
- 脱解祠:慶尚北道慶州市普徳洞・仏国洞・陽北面の吐含山にあった。
陵墓
朝鮮の陵墓を参照。歴代国王の陵墓は、敬順王陵を除いてすべて慶州にある。現在の陵墓の比定と景観は李朝時代がベースと思われ、考古学的な正しさは不明。日本植民地時代を経て、近年は観光資源として大規模な修繕工事を行われている。
寺院
- 霊廟寺成典
- 奉聖寺成典
- 感恩寺成典
- 奉徳寺成典
- 孝恩寺成典
- 永興寺成典
一覧
代 | 王号 | 生没年 | 在位年 | 姓名 | 諡号 | 廟号 | 略歴 | 陵墓 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 赫居世王 | 前69-4 | 前57-4 | 朴赫居世 | (なし) | 伝説的な新羅の始祖王。姓は朴氏。生誕地には蘿井がある。蛇陵に埋葬。陵墓のそばに曇厳寺があったという。陵墓のそばの崇徳殿に祀られた。赫居世居西干。三国史記に「始祖廟」、「始祖赫居世居西干」とあるが「始祖」が必ずしも赫居世王を指すとは限らないようだ。李朝が崇徳殿に祭った。 | 蛇陵 | |
2 | 南解王 | ?-24 | 4-24 | 朴南解 | (なし) | 姓は朴氏。南解次次雄、慈充とも。蛇陵に埋葬。 | 蛇陵 | |
3 | 儒理王 | ?-57 | 24-57 | 朴儒理 | (なし) | 姓は朴氏。儒理尼師今、弩礼尼叱今。蛇陵に埋葬。 | 蛇陵 | |
4 | 脱解王 | ?-80 | 57-80 | 昔脱解 | (なし) | 姓は昔氏。脱解尼師今、吐解尼師今。北壌井丘に埋葬。吐含山に遺骨が奉安され東岳神として脱解祠に祀られたともいう。李朝が崇信殿を創建した祭った。 | 脱解王陵 | |
5 | 婆娑王 | ?-112 | 80-112 | 朴婆娑 | (なし) | 姓は朴氏。婆娑尼師今。101年、月城を築く。蛇陵に埋葬。 | 蛇陵 | |
6 | 祇摩王 | ?-134 | 112-134 | 朴祇摩 | (なし) | 姓は朴氏。祇摩尼師今、祇磨尼叱今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | 祇摩王陵 | |
7 | 逸聖王 | ?-154 | 134-154 | 朴逸聖 | (なし) | 姓は朴氏。逸聖尼師今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | 逸聖王陵 | |
8 | 阿達羅王 | ?-184 | 154-184 | 朴阿達羅 | (なし) | 姓は朴氏。阿達羅尼師今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | 阿達羅王陵(拝洞三陵) | |
9 | 伐休王 | ?-196 | 184-196 | 昔伐休 | (なし) | 姓は昔氏。伐休尼師今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
10 | 奈解王 | ?-230 | 196-230 | 昔奈解 | (なし) | 姓は昔氏。奈解尼師今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
11 | 助賁王 | ?-247 | 230-247 | 昔助賁 | (なし) | 姓は昔氏。助賁尼師今。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
12 | 沾解王 | ?-261 | 247-261 | 昔沾解 | (なし) | 姓は昔氏。沾解尼師今、理解尼叱今、〓解王。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
13 | 味鄒王 | ?-284 | 262-284 | 金味鄒 | (なし) | 太祖? | 姓は金氏。味鄒尼師今、味照、味〓、未祖、未召、未鄒、未祖、未古。後世、五廟制度の一廟に定められる。陵名を竹現陵という。廟号は「太祖」という説がある。「始祖」も味鄒王を指す場合もあるようだ。李朝が敬順王を祀る崇恵殿に合祀。 | 味鄒王陵 |
14 | 儒礼王 | ?-298 | 284-298 | 昔儒礼 | (なし) | 姓は昔氏。儒礼尼師今、世理智王。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
15 | 基臨王 | ?-310 | 298-310 | 昔基臨 | (なし) | 姓は昔氏。基臨尼師今、基立。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
16 | 訖解王 | ?-356 | 310-356 | 昔訖解 | (なし) | 姓は昔氏。昔氏として最後の王。訖解尼師今、乞解尼叱今とも。三国史記に埋葬地の記載はない。 | (不詳) | |
17 | 奈勿王 | ?-402 | 356-402 | 金奈勿 金樓寒 | (なし) | 姓は金氏。奈勿尼師今、那密、奈勿麻立干。三国史記に埋葬地の記載はないが、『三国遺事』に占星台の西南に埋葬したとある。 | 奈勿王陵 | |
18 | 実聖王 | ?-417 | 402-417 | 金実聖 | (なし) | 姓は金氏。実聖尼師今、実聖麻立干、実主王、宝金。埋葬地は不詳。皇南大塚とする説もある。 | (不詳) | |
19 | 訥祇王 | ?-458 | 417-458 | 金訥祇 | (なし) | 姓は金氏。訥祇麻立干、内只王。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
20 | 慈悲王 | ?-479 | 458-479 | 金慈悲 | (なし) | 姓は金氏。慈悲麻立干。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
21 | 〓知王 | ?-500 | 479-500 | 金〓知 | (なし) | 姓は金氏。〓知麻立干、照知王、毘処麻立干。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
22 | 智証王 | 437-514 | 500-514 | 金智大路 | 智証王 | 姓は金氏。64歳で即位。国号を新羅とし、君主号を王に統一した。初めて諡号「智証王」が贈られる。三国史記に埋葬地の記述はない。天馬塚という説がある。智哲老王、智訂麻立干。 | (不詳) | |
23 | 法興王 | ?-540 | 514-540 | 金原宗 金牟即智 | 法興王 | 姓は金氏。元号「建元」を定める。534年、興輪寺の創建を発願。自ら出家して法雲、法空と称した。哀公寺の北峰に埋葬。王妃は慶州・永興寺に住んだ。法興大王。 | 法興王陵 | |
24 | 真興王 | 534-576 | 540-576 | 金彡麦宗 金深麦夫 | 真興王 | 姓は金氏。伽耶を滅ぼした。各地に真興王巡狩碑を建てた。忠州を小京に定めた。独自の元号を使用した。皇龍寺・祇園寺・実際寺・永興寺などを創建。恵亮を僧統に任命した。自ら出家して法雲と称した。王妃は永興寺に住んだ。哀公寺の北峰に埋葬。 | 真興王陵 | |
25 | 真智王 | ?-579 | 576-579 | 金舎輪 金輪 | 真智王 | 姓は金氏。舎輪王。永敬寺に埋葬。 | 真智王陵 | |
26 | 真平王 | ?-632 | 579-632 | 金伯浄 | 真平王 | 姓は金氏。官府を整備。漢祇に埋葬。神文王時代に五廟制度の一廟に定められる(のち解除)。 | 真平王陵 | |
27 | 善徳女王 | ?-647 | 632-647 | 金徳曼 | 善徳女王 | 聖祖? | 姓は金氏。即位して「聖祖皇姑」の尊号を奉られる。芬皇寺や霊廟寺を創建。645年3月、皇龍寺の九層塔を造営。狼山に埋葬。陵墓に近くに慶州・四天王寺が建てられた。 | 善徳女王陵 |
28 | 真徳女王 | ?-654 | 647-654 | 金勝曼 | 真徳女王 | 姓は金氏。650年独自元号を廃止して唐の元号を採用。沙梁部に埋葬。 | 真徳女王陵 | |
29 | 武烈王 | 603-661 | 654-661 | 金春秋 | 武烈王 | 太宗 | 姓は金氏。660年、百済を滅ぼす。永敬寺の北(哀公寺の東とも)に埋葬。初めての廟号「太宗」が贈られた。後世、五廟制度の一廟に定められる。のちに唐から廟号を変えるように迫られた。1977年、朴正煕大統領によって慶州統一殿に祀られた。 | 武烈王陵 |
30 | 文武王 | 626-681 | 661-681 | 金法敏 | 文武王 | 姓は金氏。663年、白村江の戦いで日本軍を撃退。高句麗を滅ぼす。北原小京、金官小京を設置。慶州・四天王寺、浮石寺を創建。初めて火葬され、海中王陵に埋葬された。大王岩と呼ばれており、王は龍になったという。感恩寺が建てられた。四天王寺に文武王陵碑がある。後世、五廟制度の一廟に定められる。李朝は敬順王を祀る崇恵殿に合祀。1977年、朴正煕大統領によって慶州統一殿に祀られた。 | 文武王陵 | |
31 | 神文王 | ?-692 | 681-692 | 金政明 金明之 | 神文王 | 姓は金氏。五廟制度を定める。感恩寺、奉聖寺、望徳寺を創建。西原小京、南原小京を設置。狼山の東に埋葬。 | 神文王陵 | |
32 | 孝昭王 | 687-702 | 692-702 | 金理洪 金理恭 | 孝昭王 | 姓は金氏。望徳寺の東に埋葬。 | 孝昭王陵 | |
33 | 聖徳王 | ?-737 | 702-737 | 金隆基 金興光 | 聖徳王 | 姓は金氏。典祀署を創設。移車寺の南に埋葬。五廟制度の一廟に定められる。菩提のため「聖徳大王神鐘」が771年に鋳造された。 | 聖徳王陵 | |
34 | 孝成王 | ?-742 | 737-742 | 金承慶 | 孝成王 | 姓は金氏。法流寺の南で火葬され、日本海に散骨された。 | (不詳) | |
35 | 景徳王 | ?-765 | 742-765 | 金憲英 | 景徳王 | 姓は金氏。慶州永興寺、元延寺を修復。仏国寺の造営を始めた。毛祇寺(頃只寺とも)の西峰に埋葬。五廟制度の一廟に定められる。 | 景徳王陵 | |
36 | 恵恭王 | 758-780 | 765-780 | 金乾運 | 恵恭王 | 姓は金氏。律令体制を整備。五廟制度を定める。反乱で殺害された。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
37 | 宣徳王 | ?-785 | 780-785 | 金良相 | 宣徳王 | 姓は金氏。17代奈勿尼師今の十世王孫。恵恭王を殺害して即位。父を開聖大王に追贈して五廟に加えた。社稷壇_(新羅)を整備。仏教の帰依に基づき火葬を遺詔した。 | (不詳) | |
38 | 元聖王 | ?-798 | 785-798 | 金敬信 | 元聖王 | 烈祖 | 姓は金氏。17代奈勿尼師今の十二世王孫。祖先を王に追贈し五廟を改定。794年7月、奉恩寺創建。三国史記では奉徳寺の南で火葬。『三国遺事』では慶州・崇福寺に埋葬された。廟号は烈祖(有唐新羅国初月山大崇福寺碑銘)。 | 元聖王陵 |
39 | 昭聖王 | ?-800 | 799-800 | 金俊〓 | 昭聖王 | 姓は金氏。元聖王の王孫。昭成王。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
40 | 哀荘王 | ?-809 | 800-809 | 金清明 金重熙 | 哀荘王 | 姓は金氏。五廟制度を改正。802年、海印寺を創建。806年に仏教寺院の新設を禁止。反乱で殺害された。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
41 | 憲徳王 | ?-826 | 809-826 | 金彦昇 | 憲徳王 | 姓は金氏。昭聖王の弟。金憲昌の反乱を鎮圧。泉林寺の北に埋葬。 | 憲徳王陵 | |
42 | 興徳王 | 777-836 | 826-836 | 金秀宗 金景徽 | 興徳王 | 姓は金氏。昭聖王、憲徳王の弟。章和王妃の陵に合葬。 | 興徳王陵 | |
43 | 僖康王 | ?-838 | 836-838 | 金悌隆 金悌〓 | 僖康王 | 姓は金氏。反乱が起こり自害。蘇山に埋葬。 | 僖康王陵 | |
44 | 閔哀王 | 817-839 | 838-839 | 金明 | 閔哀王 | 姓は金氏。38代元聖王の王曾孫。反乱を起こして僖康王の自害に追い込み即位。反乱で殺害された。埋葬地の記述はない。敏哀王。 | 閔哀王陵 | |
45 | 神武王 | ?-839 | 839-839 | 金祐徴 | 神武王 | 姓は金氏。38代元聖王の王曾孫。弟兄山の西北に埋葬。 | 神武王陵 | |
46 | 文聖王 | ?-857 | 839-857 | 金慶膺 | 文聖王 | 姓は金氏。孔雀趾に埋葬。 | 文聖王陵 | |
47 | 憲安王 | ?-861 | 857-861 | 金誼靖 | 憲安王 | 姓は金氏。45代神武王の異母弟。孔雀趾に埋葬。 | 憲安王陵 | |
48 | 景文王 | ?-875 | 861-875 | 金膺廉 | 景文王 | 姓は金氏。憲安王の娘婿。三国史記に埋葬地の記述はない。 | (不詳) | |
49 | 憲康王 | ?-886 | 875-886 | 金〓 | 憲康王 | 姓は金氏。876年2月には皇龍寺で百高座を設けた。望海寺を創建。慶州・菩提寺の東南に埋葬。 | 憲康王陵 | |
50 | 定康王 | ?-887 | 886-887 | 金晃 | 定康王 | 姓は金氏。887年1月に皇龍寺で百高座を設けた。菩提寺の東南に埋葬。 | 定康王陵 | |
51 | 真聖女王 | ?-897 | 887-897 | 金曼 金垣 | 真聖女王 | 姓は金氏。黄山に埋葬した。 | (不詳) | |
52 | 孝恭王 | ?-912 | 897-912 | 金嶢 | 孝恭王 | 姓は金氏。師子寺の北に埋葬した。 | 孝恭王陵 | |
53 | 神徳王 | ?-917 | 912-917 | 朴秀宗 朴景暉 | 神徳王 | 姓は朴氏。8代阿達羅尼師今の23代王孫という。妃は憲康王の娘。竹城に埋葬。 | 神徳王陵(拝洞三陵) | |
54 | 景明王 | ?-924 | 917-924 | 朴昇英 | 景明王 | 姓は朴氏。918年、王建が高麗を建国。黄福寺の北に埋葬。 | 景明王陵(拝洞三陵) | |
55 | 景哀王 | ?-927 | 924-927 | 朴魏膺 | 景哀王 | 姓は朴氏。927年、後百済の甄萱王の攻撃を受け、捕縛され殺害された。蟹目嶺に埋葬。 | 景哀王陵 | |
56 | 敬順王 | ?-978 | 927-935 | 金傅 | 敬順王 | 姓は金氏。後百済王の甄萱王により推戴され、即位。935年高麗の王建王に降伏し退位し新羅は滅亡した。高麗王朝からは正承公に封じられ、死後は諡号を贈られた。娘は高麗5代景宗の王妃となっている。開城郊外に埋葬。孝哀王とも。李朝が崇恵殿を建てて祭った。 | 敬順王陵 |