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日厳院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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*5亮継()<>:正親町三条実継の子。亮性法親王の弟子。系図に「両継」とある[https://dl.ndl.go.jp/pid/991588/1/17]。 | *5亮継()<>:正親町三条実継の子。亮性法親王の弟子。系図に「両継」とある[https://dl.ndl.go.jp/pid/991588/1/17]。 | ||
- | *6亮秀()<> | + | *6亮秀()<>:1427年(応永34年)、延暦寺大講堂供養に出仕か。 |
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- | *8実昭()<> | + | *8実昭()<>:菊亭教季の子。明実の弟子。『日厳院引付』『地蔵抄』を記す。系図に記載[https://dl.ndl.go.jp/pid/991588/1/26]。 |
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*10覚胤法親王(1465-1541)<>:[[伏見宮]]貞常親王の王子。妙法院門跡31世。天台座主。(略歴は[[妙法院#組織]]を参照) | *10覚胤法親王(1465-1541)<>:[[伏見宮]]貞常親王の王子。妙法院門跡31世。天台座主。(略歴は[[妙法院#組織]]を参照) | ||
*11覚永()<>:覚胤法親王の弟子。[[祇園社]]別当。『即住院座主拝任事』を記す。 | *11覚永()<>:覚胤法親王の弟子。[[祇園社]]別当。『即住院座主拝任事』を記す。 | ||
- | *12堯憲(1628-?)<> | + | *12堯憲(1628-?)<>:園基音の子。堯然法親王の弟子。1648年(慶安1年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/772966/1/475。1668年(寛文8年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/90]。著書に『獅子吼院堯恕親王行業記』。 |
*13堯什()<>: | *13堯什()<>: | ||
- | *堯継()<> | + | *堯継()<>:仏家、望月になし。1702年(元禄15年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/899629/1/337]。1714年(正徳4年)12月在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/215]。 |
- | *14堯陳()<>:1734年(享保19年)12月在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/265]。1736年(元文1年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/271] | + | *14堯陳()<>:1734年(享保19年)12月在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/265]。1736年(元文1年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/271]。堯珍か。 |
*15堯明(1741-?)<-1763->: | *15堯明(1741-?)<-1763->: | ||
*16堯海(1743-1799)<-1770->:[[大念仏寺]]49世。1763年には普応院住職。日厳院を経て1787年には[[勝安養院]]住職。1799年(寛政11年)3月26日死去。 | *16堯海(1743-1799)<-1770->:[[大念仏寺]]49世。1763年には普応院住職。日厳院を経て1787年には[[勝安養院]]住職。1799年(寛政11年)3月26日死去。 | ||
*洞海(1769-?)<-1787->:大念仏寺50世?仏家、望月になし。 | *洞海(1769-?)<-1787->:大念仏寺50世?仏家、望月になし。 | ||
*17教弥(?-1872)<>:[[大念仏寺]]52世。1872年(明治5年)死去。(略歴は[[大念仏寺#組織]]を参照) | *17教弥(?-1872)<>:[[大念仏寺]]52世。1872年(明治5年)死去。(略歴は[[大念仏寺#組織]]を参照) | ||
- | (『日本仏家人名辞書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/816939/1/124]、望月信亨『仏教大辞典 | + | (『日本仏家人名辞書』[https://dl.ndl.go.jp/pid/816939/1/124]、望月信亨『仏教大辞典 付録』[https://dl.ndl.go.jp/pid/991344/1/60]) |
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2023年4月15日 (土) 時点における版
日厳院は、京都府京都市東山区茶屋町にあった妙法院門跡の院家寺院。尾坂門跡、小坂殿とも呼ばれた。現在の京都国立博物館の辺りにあった。明治初期に大念仏寺が兼務。 1162年(応保2年)5月、妙法院門跡快修が創建。以後、妙法院の運営を支えたと思われる。門跡として扱われていた時期もある可能性があるがはっきりしない。江戸時代には妙法院の院家として記録に残る。客殿が京都方広寺に移築されて現存する。
目次 |
組織
歴代住職
相顕を初代とすることもある。
- 1快修(?-1172)<>:妙法院門跡13世。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 2相顕()<>:快修の弟子。
- 3実覚()<>:
- 4亮性法親王(1318-1363)<>:後伏見天皇の第9皇子。妙法院門跡25世。天台座主。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 5亮継()<>:正親町三条実継の子。亮性法親王の弟子。系図に「両継」とある[1]。
- 6亮秀()<>:1427年(応永34年)、延暦寺大講堂供養に出仕か。
- 7明実()<>:
- 8実昭()<>:菊亭教季の子。明実の弟子。『日厳院引付』『地蔵抄』を記す。系図に記載[2]。
- 9公意()<>:
- 10覚胤法親王(1465-1541)<>:伏見宮貞常親王の王子。妙法院門跡31世。天台座主。(略歴は妙法院#組織を参照)
- 11覚永()<>:覚胤法親王の弟子。祇園社別当。『即住院座主拝任事』を記す。
- 12堯憲(1628-?)<>:園基音の子。堯然法親王の弟子。1648年(慶安1年)在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/991110/1/90。著書に『獅子吼院堯恕親王行業記』。
- 13堯什()<>:
- 堯継()<>:仏家、望月になし。1702年(元禄15年)在職[3]。1714年(正徳4年)12月在職[4]。
- 14堯陳()<>:1734年(享保19年)12月在職[5]。1736年(元文1年)在職[6]。堯珍か。
- 15堯明(1741-?)<-1763->:
- 16堯海(1743-1799)<-1770->:大念仏寺49世。1763年には普応院住職。日厳院を経て1787年には勝安養院住職。1799年(寛政11年)3月26日死去。
- 洞海(1769-?)<-1787->:大念仏寺50世?仏家、望月になし。
- 17教弥(?-1872)<>:大念仏寺52世。1872年(明治5年)死去。(略歴は大念仏寺#組織を参照)
(『日本仏家人名辞書』[7]、望月信亨『仏教大辞典 付録』[8])
画像
参考文献
- 『日厳院引付』『即住院座主拝任事』