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朝鮮仏教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2016年10月31日 (月) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
歴史
- 372年:高句麗に仏教が初めて伝わる。前秦の順道が仏像を経典を伝える。(『三国史記』)
- 384年:百済に仏教が初めて伝わる。東晋の摩羅難陀が来訪。(『三国史記』)
- 5世紀中頃:新羅に仏教が初めて伝わる。高句麗の阿道(墨胡子)が来訪。(『三国史記』)
- 528年:新羅、仏教を公認。(『三国史記』)
- 円光(532-630)、鎮護国家の法を新羅に導入。花郎徒を育成
- 660年:百済滅亡
- 668年:高句麗滅亡。新羅が半島を統一。この頃、慈蔵(608-677)、義湘(625-702)、元暁(617-686)らが活躍。
- 918年:高麗、建国。太祖、王都開京に護国道場10寺を創建
- 935年:新羅が高麗に従属。
- 1086年:義天(1055-1101)が宋から帰国。天台宗を伝えた。
- 1087年:高麗版大蔵経完成。5048巻。
- 1145年:『三国史記』編纂
- 知訥(1158-1210)が禅宗をまとめる。朝鮮禅宗の中興。
- 1232年:蒙古の侵攻で、符仁寺に収められていた高麗版大蔵経焼失。
- 1237年:高麗版大蔵経の再刻を決定。
- 1251年5月:高麗版大蔵経、完成
- 1346年:太古智愚(1301-1382)、元に留学。湖州霞霧山の石屋清〓の法を嗣ぐ。
- 1356年:太古智愚、禅宗九山を統率する府事となる
- 1392年:李氏朝鮮、建国
- 太宗、仏教を統合し、12宗派から7宗派に合併。242寺とする
- 世宗、2宗派に統合。各18寺とする
- 1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵。清虚休静が僧兵を率いて参戦。
- 1659年:出家を禁止。僧侶を還俗
- 1877年:日本の真宗大谷派が朝鮮に進出。各派が続く
- 1897年(光武元年)8月:元号を「光武」とする
- 1897年(光武元年)10月:韓国皇帝即位。
- 1902年(光武6年):大韓帝国、寺刹管理署を設置。国内首寺(総本山)として元興寺を創建。各道に道内首寺16寺を設定した。
- 1904年(光武8年):大韓帝国、寺刹管理署を廃止。
- 1908年(隆煕2年):朝鮮仏教の統一機関として円宗宗務院を設置。日本の曹洞宗の武田範之が顧問となる。
- 1910年(明治43年)8月:韓国併合。朝鮮総督府設置。
- 1910年(明治43年):円宗宗務院の李晦光宗正が密かに日本曹洞宗と連合条約を締結。朝鮮仏教界で反発を呼ぶ。
- 1911年(明治44年)春:日本曹洞宗との提携を拒否した有志が臨済宗臨時宗務院を松広寺に設置。
- 1911年(明治44年)6月:朝鮮総督府、[[寺刹令]{を制定。30本山を定める。当時、朝鮮半島に約900寺があったという。
- 1911年(明治44年)秋:臨済宗臨時宗務院、梵魚寺に移転。
- 1945年(昭和20年):日本敗戦
- 1954年:教団浄化対策委員会設置。
- 1962年4月:統一教団の曹渓宗を設立。
概要
参考文献
- 泊勝美 1980年(昭和55年)『韓国古寺発掘』ロッコウブックス